晩秋の墓地を訪れて、墓碑銘を〈読んで〉みよう。

タルコフスキーの墓を探して

 パリ郊外エソンヌ県にロシア正教会墓地*がある。ここに、『僕の村は戦場だった』や『ソラリス』を撮ったアンドレイ・タルコフスキー監督の墓があると聞いて、お墓参りに出かけることにした。InvalidesからRER C線に乗り南へ約40分。Sainte-Genevière-des-Bois駅で下車。104番のバスに乗って〈Piscine〉で降りると左手に見えるプールのすぐ裏に墓地がある。この墓地に入ってまず驚かされたのは墓の形や色の美しさ。青は空を、エメラルド・グリーンは大地、白は純粋さを象徴しているという。
 1984年にタルコフスキーは、ソビエトに二度と帰らないことを宣言し、新作の編集に打ち込むが、その最中に肺ガンにかかっていることを知る。1986年12月28日、ヌイイの病院で息を引き取り、葬儀はパリ8区の正教会で行われた。翌年1月3日、故人の希望に従い、遺体はこの墓地に埋葬された。教会を背に歩いて3ブロックほど、目的地に近いところにまるで目印のように一本の木が立っている。鮮やかな赤の葉がひらひらと舞い落ちるその木に吸い寄せられるように歩いていくと、それがタルコフスキーと妻ラリッサが眠るお墓だった! 遺作「サクリファイス」のラストシーン、木の根元に腰掛ける少年の姿を思い出す。この木、きっと、タルコフスキーのことを愛する誰かが植えたのに違いない。
ここでひときわ目立つ墓は、バレエのダンサー、ルドルフ・ヌレエフのもの。故人が愛したというキリムがモザイクで再現されているのだが、まるで本物の柔らかい絨毯(じゅうたん)のようで、手で触れて確かめたくなってしまう。(さ)


*ここには1917年のロシア革命を逃れてきたロシアのお姫様ヴェラが創設した若い女性のための教育施設があった。ここで教育を受けた裕福なイギリス人女性ドロシーが、年老いた亡命ロシア人に同情し、彼女の献金によって1926年にロシア正教会の墓地が生まれた。

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