「森の中をさまよっている曲なんだ」。チャーミングな笑みをうかべてピクサルが差し出してくれたイヤホン。そこから流れるメロディーは、夜空を照らす月の光を浴びながらパリを歩くピクサルの姿にふさわしい。ピクサルが動くのは深夜。静まりかえった通りに伸びた彼の影。まるで一夜の夢のように、ある朝、パリの町角が鮮やかに染められている。そこにはピクサルがいたんだ。 アメリカからラップがフランスに入り始めたのは1980年代。その躍動感あふれる原始的なリズムは、何かを表現したくてうずうずしていたパリの若者たちを惹きつけた。石壁は原色で彩られ、モノトーンだった町がうごめきだした。しかしパリ市は子供に悪影響が及ぶのを危惧し、壁に絵を描くことを禁止。1988年のことで、ピクサルは16歳だった。 こんなこともあった。「ある日ね、壁に向かっていたひとりのアーティストに、通りがかった警官が注意しようとしたんだ。でもそれがあまりにいい出来だったものだから、警官は何も言わず通り過ぎたんだ。1990年のことだよ」。そのアーティスト、エプシロンとはすっかり意気投合し、現在まで活動をともにしている。 「仕上げにボンブスプレーで色を重ねる時、缶から流れ出す空気が鼻の奥につんとくる。あのしびれのなかで、どんな色が浮き上がってくるかを待っている瞬間がたまらなく好きなんだ。これは未来への旅なんだよ」。そう話す彼の頬が赤らんでいる。 人がいる場所が好き。近く引っ越そうと考えている所も、アーティストが多く住むパリ14区の一角にある一軒家で、仲間のピエールとの共同生活だ。「描く場所は歩きながら感じるままに決めているよ。でも、同じ顔をしたアパートが続くオスマン地区はちょっと苦手だな」 ピクサルは、空間を隔てている壁を自由に解放し、過去から現在、そして未来をつなげようとしている。人々が寝静まった夜、パリという森をさまよいながら…。(恵)
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●Les Trois Chapeaux ピクサルの家から歩いてすぐのCascades通りは、1812年からある石畳のまがりくねった細い道。三つ仲良く並んだシルクハットがお店の目印だ。週に2回はここでお昼ごはんを食べるピクサル。オーナーのマクルフもこの地区に住んでいて、二人は7年来の付き合いだ。ライブを毎晩のように楽しめるとあって、深夜2時の閉店まで常連客で賑わっている。熱々のタジンやクスクスで冷えた体を暖めよう。(恵) |
48 rue des Cascades 20e 01.4636.9006 www.les3chapeaux.com M。 Pyrenees 午前2時まで。 |