◎三浦眞道、41歳、枚方市
きっかけは、小学生の頃にテレビで見ていた「料理天国」。芳村真理や龍虎が美味しそうに食べるフランス料理に惹かれた当時の三浦少年は、すでにその奥深さを感じていたのだろうか。
フランス料理のシェフになるために、回り道とはいえ、まずはフランス語を学ぼうと大学へ。22歳、大学を卒業後、一年間働いてお金を貯め、調理師学校へ。24歳、推薦をもらい、ピレネー地方の三ツ星レストランで研修。30歳までに日本で自分の店を持つという目標があった三浦さんは、翌年、研修期間が終わると大阪に戻る。独立を目指して、小さなレストランだが尊敬できるシェフのもとでスキルを磨く。稼いだお金のほとんどは、関西をはじめとするフランス料理の食べ歩きと、フランスから送ってもらう料理本に費やし、料理の知識を蓄える。
27〜28歳、独立準備の仕上げで、パリやリヨンなど、知り合いのレストランでの短期間の研修と、日本でアルバイトをくり返す。その間、100万円を握ってフランスの三ツ星レストラン巡りも敢行。そして29歳、大阪、枚方市にレストランLa Rive gaucheをオープン。
三浦さんが追求するのは、「三ツ星レストランのシェフとか、食べ歩きのプロが求めているものとは違うベクトル」。「さじ加減は難しい」が、「フランス料理屋だからといってパテ・ド・カンパーニュを常におく必要はない」、だけど「醤油は使わない」、「高級食材は使わなくても、真空包装機などの調理器具を使わなくても、新鮮な日本の素材でフランスの香りのする料理はできる」という。そんな三浦さんの落としどころを気に入って通うフランス人のお客さんも多く、「あんたのところはフランスっぽい」と言われる。
三浦さんにとって、フランス食文化の魅力は、食べている人だという。「彼らは、なんて楽しそうに食べるんだと。それに引っ張られるようにレストランも存在しているところがいいです」。パリに行ったら必ず寄ってしまうレストランが、12区のL’Ebauchoirと、サンマルタン運河のLe Verre voléというのもうなづける。いずれも高級店ではないが、「フランスっぽい」、雑然として楽しい場所だ。
これからは、料理人だけであることにこだわらない。料理という枠をこえて、「フランスの食文化そのものが面白い」という。ソムリエの資格もある三浦さん、最近は、いわゆる自然派ワインを中心にワイン熱が高まり、毎年フランスのワイン生産者を巡り交流を深めている。年内には酒販免許を取ってワインの販売もする。料理人としてだけでなく、これかれも「フランス食文化のどこかに足を突っこんでいたい」。パリや東京で次の展開もありえるという。それが日本でもパリでも、きっと三浦さんなりのかたちで、フランス食文化の楽しさを教えてくれるに違いない。(樫)
La gastronomie française : inépuisable et fun ! MIURA Masamichi, 41 ans, Hirakata-shi, Osaka
Après des études de français à la fac à 22 ans, il commence sa formation de cuisinier qu’il parfait par de nombreux stages en France et au Japon, pour ouvrir en 1999 son restaurant à Hirakata, Osaka, à l’âge de 29 ans.
Toujours à la recherche de “la saveur française”, il trouve que “c’est très délicat de trouver le bon mariage”. On devine dans ses propos qu’un restaurant français n’a pas à proposer inévitablement des pâtés de campagne mais doit toutefois éviter d’utiliser la sauce de soja: “Sans choisir des produits hauts de gamme, on parvient avec de bons produits japonais frais à générer des plats à la française”.
Pour le chef Miura: “En France, on mange très joyeusement dans les restaurants et on y respire une vraie gaieté humaine”. En effet, “toute la gastronomie française est fun”. Il s’imagine autre qu’un simple cuisinier, mais voudrait “continuer à avoir une prise quelconque dans ce domaine”, pour communiquer autour de lui cette allégresse gastronomique.