テレビになくてはならなかった男の死。

 テレビの司会者として、制作者として大活躍していたジャン=リュック・ドラリュが8月24日、胃がんで亡くなった。48歳。昨年12月2日に記者会見してガンにかかっていることを発表していた。
 1964年パリ生まれ。父親はアメリカ文明専門の教授、母親は英語の教師。家にはずっとテレビがなく、テレビが入ってからも母親は画面に、「テレビを消しなさい。私は子供たちの話が聞きたい」と大きく書かれた紙を貼っていたものだが、ドラリュはどんどんテレビっ子になっていく。1986年にDDB広告代理店に入社するが、同じ年に民放TV6の広告に関する番組でテレビ界にデビュー。翌年にはラジオ局Europe 1の音楽番組を担当。その若々しいエネルギッシュなトークが話題を呼び、1992年にはCanal +に引っ張られ、”La Grande Famille” という番組の司会者兼制作者に抜擢される。このプレスカードも持たない若者の出世ぶりにやっかみも多かったが、1年後には25万人も視聴者を増やし、「自分の影よりも早く出世する司会者」 というニックネームをもらう。 
 1994年には国営のFrance 2に移り、彼のテレビ司会者としての地位を不動のものにした水曜夜の “Ça se discute” を担当する。夫婦間の問題、不倫、セクハラ、年齢差の甚だしいカップル、天才児を育てる、といったフランス人が気にかけているテーマを取り上げ、どこにでもいそうなゲストたちから体験話を引き出していくドラリュ。いつもダークなスーツにワイシャツ、手には覚え書きとボールペン、右耳にはイヤホン。時にはそのイヤホンを押さえたりする。「イヤホンが見えるようにするのは、番組が私一人でなく、他のスタッフの協力でできていることを示すため」と、番組のイメージを高める。いつも笑顔を忘れない、親身な司会ぶりは「理想的なおむこさん」と愛され、2009年まで続く、毎回30%前後の高視聴率を誇る長寿番組となる。2000年にはSept d’or賞を獲得している。
 ドラリュは類いまれな商売上手でもあった。1994年には早速〈Réservoir Prod〉というテレビ番組制作会社を設立したのは先見の明。”Ça se discute” だけでなく、”C’est mon choix” や “Vis ma vie” といった人気番組をプロデュースし、国営局を中心に高く売りつけた。1995年には、国営局の、ドラリュをはじめとする一部のプロデューサー優遇が国民議会でたたかれ、フランス・テレビジョン会長が辞職に追い込まれたこともある。2008年には年収50万ユーロ、資産3000万ユーロあったという。2004年から、パリで「Nobu」という日本料理店を俳優のデ・ニーロと共同経営していたこともある。
 そんなドラリュにも影の部分があった。それはコカイン中毒。2010年9月14日、警察はドラリュの自宅をコカイン所持の疑いで家宅捜査したところ、16グラムのコカインが見つかり、テレビ番組から一時下ろされる。ドラリュはアルコールやコカインを常習することによって「パワーを持っているという幻想」を求めていたと告白し、病気で倒れるまで、キャンピングカーでフランス各地を回り、高校生たちに麻薬の危険を説いていた。(真)

Jean-Luc Delarue