フランス文学の旅 — n 00 : pilot version —
Legende du coeur mange
— 肝喰い伝説 —
スタンダールの「赤と黒」の中に二カ所興味深い章句がある。まずは第一書の第八章:「レナル氏はヴェルジーに移った。ガブリエルの悲劇で有名になった村である。」同じく第一書、第二十一章でこの悲劇が少し(!)明らかになる:「(…)ある不確かな伝説によると(…)この小さな教会はヴェルジー公の城の礼拝堂だったそうだ。その教会にお祈りに行こうと思う度にいつもレナル夫人はこの話にとりつかれた。夫がジュリアンを事故に見せかけて狩りの最中に殺すのを想像した。そしてその晩に食べさせられるジュリアンの心臓を。」このヴェルジーのガブリエルのお話の基本になっているのは全ての版の注釈に出ているように十三世紀の「La Châtelaine de Vergy」だが、実際はそう簡単ではない。オリジナルのヒロインはGabrielleという名ではないし、心臓も食べない(!)。こ
の中世の韻文小説はフランス文学史の中でまれにみる何度も書き換えられている作品の一つであり、例えばMarguerite de Navareの「Heptamenon」、スタンダールの在命中に出た1829年の近代フランス語訳などがある。Gabrielleの名がヒロインに当てられるのは18世紀の終わりで、1770年に発表されたDu Belloyの悲劇(上演は作者の死後1777年)は「Gabrielle de Vergy」といい、1816年にはイタリアで「Gabriella del Vergy」というCarafa作のオペラも上演された。Gabrielleの名の出現はもう一つ別の中世文学がこの「La Chatelaine de Vergy」に浸食してきたことが原因であり、それが「肝食い伝説」として知られるお話である。「肝喰い伝説」の起源は二人の吟遊詩人のお話である。ひとつはGuilhem de Caberstahn。これはスタンダール自身「恋愛論」の第五二章でその近代フランス語訳を載せている。メインのシーンでは、夫人の愛人を公爵が殺す、その晩の食卓に調理された心臓が夫人に出される、何も知らずに食べた夫人は食べ終わると真実を知らされて死んでしまう。これが基本のプロットだが、やはりこのお話もいくつものヴァージョンがあって、愛人の殺害の方法も違い、晩餐のシーンも次第に演出されていく。もう一つの「肝食い伝説」の元は、Le chatelaine de Coucyの「Le roman du chatelain de Coucy et de la dame de Fayel」である。ストーリー展開はほぼ同じで、問題の晩餐もあるが、大きく異なるのは、夫人の愛人は殺害されるのではなく、十字軍遠征に出て聖地で傷を負って死んでしまうことである。死ぬ直前に家来に夫人に宛てた手紙を託し、自分が死んだら胸を切り裂き心臓をえぐり取って、手紙と一緒に香水の効いた箱に入れて夫人の所に行くように言い残す。妻の不倫を知って、自分の家来であるその愛人を遠征に送り出していた嫉妬深い公爵は、夫人の元へ届く前の心臓を手に入れて、料理させ…と、あとは問題の晩餐である。この晩餐を語る前に(サスペンス!?)中世における象徴としての「心臓」について一言。男中心の騎士世界と階級制度が謳歌する宮廷社会の間で、貴婦人にとっては純愛(fine amor)は不可能であった。それを可能とさせたのが、日本でいう「血の仁義」ではないが、「Tristan et Iseut」などに出てくるように、血の交換による「等愛」を象徴する媚薬(filtre)であった。そして中世科学においては血の源である心臓は、さらに大きな象徴となる。「命」の源だけではなく、「心」の、「愛」の源の象徴として。では、(悲)劇的な晩餐の夫人と公爵のやりとりを読んでみよう。「一体なんですのこのお料理は?私だけ皆様とちがう料理のようですけど。今までこのような美味しいものいただいたことありませんわ。こんなに美味しいもの、これからはもっとしばしば作らせてください。」夫人の言葉に公爵は奇妙な笑みを浮かべただけだった。「とてもお高いものですの?とても希な動物ですか?」「ああお前にとってはとてもとても値打ちがつけられないだろう!」普段とは逆に無口に晩餐を過ごしていた公爵であったが、その急なかわり様は夫人を驚かした。「その獣の面が見たいか!見せてやろう!」と、狂気にとりつかれたかの公爵は自ら調理場へ行き、持ってきた銀皿に乗っていたのは…夫人の愛人の頭であった。「お前は比奴の肝を喰ったんだ!」その言葉で夫人は気を失った。気が付くと招待客は全ていなくなっていた。「どうだった、あいつの肝の味は?そんなに旨かったか?」「ええ、とても美味しいくいただきました。この世であんなに美味しいもの二度といただけませんわ。もう何を食べても何を飲んでも愛する人の心臓の味は消えませんわ。第一、もう一生、私、何も口にすることが出来ません。」Caberstahnのヴァージョンの方はその後、さらに嫉妬に狂った公爵に追われて夫人は塔から飛び降りて死ぬと語るが、Coucyのヴァージョンでは夫人は何も食べずに死んでしまう。この最期、「赤と黒」のそれを思わせる。というより、しばしばスタンダールは物語の終わらせ方が不器用だと指摘されるが、「赤と黒」の最後の文—「レナル夫人は約束に忠実であった。自ら死を与えることはしなかった。が、ジュリアンの死後三日後、子供達に口づけしながら息絶えた。」—は肝食い伝説のラストシーンに照らされて、「不器用な」終わりではなく、「拡く、深く」なる。そして「赤と黒」において「Fine amor」は「Amour romantique」となり、僕たちは「愛」の「こわ(恐/怖/強/畏)さ」におののく。愛する人に心臓を送る、愛する人の心臓の味…
(岳)
Bibliographie:
La Chatelaine de Vergy, Gallimard, <folio> n.2576.
Le roman du chatelain de Coucy et de la dame de Fayel, Jakemes, Corps 9 editions, Troesnes, 1986.
Les chansons de Guilhem de Caberstahn, Librairie ancienne Edouard Champion, Paris, 1924.
L’erotique des troubadours, Rene Nelli, editions Privat, Paris, 1997.
Le coeur mange, Stock+Moyen age, Paris, 1979.
Filmographie: My Bloody Valentine(1981)
Discographie: Loveless / My bloody Valentine