恐怖特集

 

パリとその近郊殺人事件

わいのに見たい恐怖映画。残酷シーンを前にしても作り話だと思うと安心できる。が、数日間寝つきが悪くなった映画がある。アメリカの連続殺人鬼を描いた「ヘンリー」だ。冗談ではない。生きた人間が理由もなく人殺しをし、人が死ぬのを屁とも思っていない。それに・・・ 本当の話だ!日本に比べてフランスでは殺人事件があまり話題にならないが、件数自体が少ないのだろうか。パリ警察博物館・資料課によると18世紀に教育が普及してから凶悪犯罪は減り、武器所持の規制も厳しいので毎日起きるわけではないという。だが殺人は「教育」だけでは語れない。やっぱりあった、恐ろしい話。パリとその近郊で起きた今世紀を代表する殺人事件を2件、こわごわ聞いてきた。
すでに伝説の域に達しているランドリュ事件の主人公、アンリ=デジレ・ランドリュは1869年パリの中産階級家庭に生まれる。充分な教育を受け二十歳で結婚、兵役後は建築事務所を開く。小さな詐欺事件で3回の禁固刑に処されているが、戦争さえなければこれで終わっていたはずだ。1914年、彼は戦争未亡人の出す新聞の再婚相手募集広告を見て閃き、「当方まじめな紳士。未亡人または真価を認められない35〜45才の女性と結婚を望む。」という広告を出す。
召集の心配はないが働き盛りの年齢、当時45才の彼には山ほどの返事が舞い込んだ。金持ちに絞って行動開始、1919年に逮捕されるまでに合計10人の女性との婚約を遂げた。裕福だが精神的な支えが必要だった彼女らは、貫禄たっぷりのひげをたくわえた誠実な紳士のプロポーズにだまされて全財産を預け、普段はパリでデート、週末はパリ郊外ガンベの一軒家で過ごし… 消えて行った。戦争の混乱で初期の失踪者は捜索もされなかったが、戦後女性たちの家族がガンベ市役所へ問い合わせて捜査が始まる。パリ、リヴォリ通りで逮捕。ガンベの家で見つかった、犠牲者の家具や宝石、服、そして台所のオーブンと996gの灰になった人骨などのほかに遺体は見つからず、証拠不足で裁判は2年に及んだ。数年に渡る犯行期間中、4人の子の父であったランドリュは良き父・良き夫を演じ、妻へは “宝石類”をプレゼントしていたという。最後まで無実を主張したが、女性達の手紙を財産の有無で整理した几帳面なファイルが証拠となり、1922年11月7日にギロチンで処刑された。 日常茶飯事に殺人が行われる戦争のムードは人間の残酷性を目覚めさせるようだ。次の事件もやはり第二次世界大戦と重なる。1944年二人の浮浪者がパリのある館に忍び込み、過ってボヤを出した。駆けつけた消防士が見つけたものは二人の焼死体と、焼かれてほとんど形のなくなった大量の細切れ死体。不在の家の主は、本の万引きなどで警察にマークされたこともあるマルセル・プティオ医師だったが、当時無法地帯と化していたパリで警
察は機能していなかったため、事件はないがしろにされてしまった。戦後45年9月、『レジスタン』紙に「ドイツ帝国の兵士、プティオ」と題された記事が掲載された。彼はすぐに反論の手紙を編集部に送りつけ、これがきっかけで逮捕されるが、逮捕時はレジスタンス派のメンバーの、おそらく犠牲者のものであった制服を身につけていたそうだ。主な犯行は42年頃からで、犠牲者はナチから逃れてフランスを脱出しようとしていたユダヤ人やレジスタンス達。手数料を取って非占領地区への逃亡を手助けするふりをし、例の館の特殊構造の部屋で次々と殺害していったのだ。それは外からの操作で毒ガスが出る小部屋で、ドアにはのぞき穴が細工してあった。遺体はほとんど生石灰で溶かされ、本人がレジスタンスを演じきっていたため裁判は長引き、公判は計16回、証人は90人にも及んだ。現場検証では警察が立入を禁止しなかったために記者や野次馬が殺到したが、プティオはユーモアを交えながら上品に訪問客を案内した。被害者の持ち物はきれいに棚に整理され、ゲシュタポの制服まであったという。27人の殺害が問われていたが、聴衆を前に自ら63人の犠牲者の名を挙げた。46年 5月26日、ギロチンで処刑。彼も家庭では優しい夫、父だった。 ゾンビものろいの館もこわいけれど、一番恐しいのは… やっぱり人間だ。

(仙)

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