◎齊藤佳史(ラストゥール/ボルドー:1年以上)
料理人やパン職人など、食の世界でフランスと関わる人は多いが、齋藤さんは、作る方ではなく、サービスの方からフランスと関わっている。
きっかけは、大学時代にアルバイトで始めた飲食店での給仕の仕事だった。「いろいろな職業の人から話を聞けて、面白かった」と言う。そこから、お客さんと会話ができるスタイルのカフェやブラッスリーなどで働いた。サービスマンの道を究めたい、それならフレンチだと思い、在学中からソムリエの資格の勉強を始め、卒業後に取得した。1999年に大学を卒業した後も、自分の店を持つことを目標に、フレンチレストランやブラッスリーで働いた。沖縄のフレンチレストランや、かつてのオーバカナル原宿店で働いたこともあった。
2003年の開店当時から働いていたブラッスリーオザミで、フランスのワイン生産者たちと話をするうちに、フランスに行きたい気持ちがわいてきた。ところが、神田で自然派ワインを売りにした自分の店を出す機会に恵まれ、フランス行きは保留になった。
それから5年ほど経った頃、フランスの星付きレストランで働けるという話がきた。店は順調だったが、「1回仕切り直そう」と、2010年、いったん店を閉めて、フランス行きを決めた。
まずはカルカッソンヌの北にあるラストゥールでの3ヵ月の研修に行った。オーナーシェフが家族でやっている店で、ラングドック地方の料理と自然派ワインを学ぶことができた。休みの日にはワインの生産者を紹介してもらって話を聞きに行った。
その後、いったん日本に戻り、次はボルドーのレストランで働いた。サービスはもちろん、予約管理やワインのセレクト、料理の仕込みまで、レストラン業務全般に関わった。大学の第2外国語で授業を受けた以外は、ほぼ独学で学んだフランス語では、コミュニケーションで苦労した。1年間の滞在中、ここでも休みになると自転車を電車に乗せ、メドックのワイナリーを訪ねたり、3週間かけてエルミタージュからディジョンまで自転車でワイナリー巡りもした。
サービスマンとして、「全ての要望に応えることができなくても、食事とその空間を楽しませることが大事」との思いで、知識と経験を積んだフランス滞在だった。「自分の引き出しが増えました」「日本のサービスは〈おもてなし〉が第一なのですが、フランス人のサービスには勢いがあり、エネルギッシュだ」と言う。
2012年に日本に戻ったあとも、シチリアで2ヵ月ほどバリスタとしての技術の再確認の旅をしたり、まだ訪れたことがなかった南仏の街を数週間かけて回るなど、知識の引き出しをさらに増やした。
現在は神楽坂のメゾン・ド・ラ・ブルゴーニュでシェフソムリエ兼アシスタントマネージャーをしている。「サービスを通じて、おいしかった、楽しかった、また来たい、という満足感を届けたい」と、お客さんとの会話を楽しみながら、ホールに立っている。(樫)
メゾン ド ラ ブルゴーニュ
東京都新宿区神楽坂3-6-5 via 神楽坂
03-3260-7280
Une bonne occasion d’emmagasiner des connaissances.
SAITO Yoshifumi (plus de 1 an à Lastours et Bordeaux)
SAITO Yoshifumi (plus de 1 an à Lastours et Bordeaux)
Si la gastronomie française attire de nombreux apprentis cuisiniers et boulangers japonais, c’est pour apprendre le métier de serveur que Yoshifumi est parti en France.
Le déclic s’est produit alors qu’il effectuait un job de serveur après ses cours à l’université. « C’était très intéressant de parler avec des gens de toutes sortes.» En travaillant dans une brasserie française à Tôkyô, il a eu l’occasion de rencontrer des viticulteurs français et en parlant avec eux l’envie lui est venue de partir un jour en France. Après plusieurs années de travail comme serveur dans différents établissements, il a eu l’occasion d’ouvrir son propre établissement. Au bout de 5 ans, une autre chance lui sourit pour travailler en France. Il décide alors de repartir de zéro et quitte le Japon en 2010.
Après trois mois de stage dans un restaurant étoilé de Lastours, suivi d’un retour au Japon, il est reparti à Bordeaux pour travailler pendant un an dans un autre restaurant. Les jours de congé, il prenait le train avec son vélo pour partir à la découverte des viticulteurs de la région.
Comme serveur, sa devise est « rendre le repas agréable, même s’il est difficile de satisfaire toutes les demandes des clients». Ce séjour en France lui a permis d’emmagasiner les connaissances et expériences, dont il se sert à présent à la grande satisfaction des clients de «Maison de la Bourgogne», restaurant à Tôkyô où il est le chef sommelier.