〈Combat 闘い〉とアドレナリンをめぐる思索と散策。

かつて闘牛場があったという、 rue de l'Hôpital Saint-Louis。
かつて闘牛場があったという、 rue de l’Hôpital Saint-Louis。

 計算を得意とする左脳をセーヌ右岸、芸術に秀でた右脳を左岸にたとえる話を聞いたことがある。先日、脳の断面図とパリの地図を見ていたら、神経の集中する脳幹の傾きと、パリの北東を走る運河のうねり方が似ていることに気づいた。興にのって、アドレナリンの分泌を促す視床下部にあたる街角を探すと〈Combat 闘い〉という地区の名が目に入った。 〈Combat〉地区といってもわかりにくいかもしれない。 〈コロネル・ファビアン〉とか〈ビュット・ショーモン〉のほうが一般的だろう。街の名前は、今のコロネル・ファビアン広場が1945年まで 〈Combat広場〉とよばれていたことに由来する。いまでこそ瀟洒(しょうしゃ)な住宅街になっているが、パリの鬼門にあたるこの地区には、18世紀末から19世紀半ばまで闘犬・闘牛場があった。歴史を通して、激しい地区だった。17世紀には高さ10メートルの石柱が16本並ぶ、〈モンフォーコンの絞首台〉という処刑場だった。〈血の一週間〉と呼ばれる1871年5月末には、パリ・コミューンの敗兵たちが、モンマルトルの丘から飛んでくる砲弾に晒(さら)されながら、ビュット・ショーモンで最後の抵抗をこころみた。
 かつての 〈Combat広場〉に立つ共産党本部の壁には、一枚のプレートが掲げられている。1936年にスペインで内戦が勃発すると、世界中から義勇兵たちがここに集まり、国際旅団としてピレネー山脈の向こうの戦場へ赴いた。その数は6万人ともいわれている。ファシズムに対する義憤という、巨大なアドレナリンがかつてこの場所で渦巻いていたのだ。
 むろんアドレナリンには副作用がある。過剰に分泌されると情緒不安になったり,錯乱を起こしたりする。21世紀に入って、イスラム過激派組織〈ビュット・ショーモン系〉が、テロ戦闘員をイラクに送ろうと画策した。メンバーだったシェリフ・クワシは、数年後、兄とともにシャルリ・エブドを襲う。奇しくも彼らが逃走車を乗り捨てたのは、この地区の北西にあるモー通りだった。
 しかし闘争は暴力をともなうとは限らない。モー通りに近いアルマン・カレル通りを拠点とするネット雑誌 『STREETPRESS』編集主任のロバン・ダンジェロさんに「お昼を食べにおいで」と誘われて編集部に遊びにいくと、テーブルに集まった社員8人が談論風発としていた。ほとんどが20代後半だという。誰かが記事のネタを思いつくと「それは大手メディアでもできる」といった声があがる。創刊から5年になる彼らの強みは、そのレイアウトの質の高さであり、100名を超えるライター陣が街を回り、足で稼いだ幅広テーマの記事の数々でもある。10区のアフリカ系美容室や華僑のワイン店などの裏側をリポートしたと思えば、テロ事件後に厳重警戒態勢が敷かれたなか、立哨の兵士たちに近所のママさんがする差し入れについてのルポを掲載したりする。大手メディアが扱わないミクロな話題だからこそ、逆に社会の核心を突くような深い洞察が生まれる。ネット雑誌のほかにも、ビデオ制作、編集プロダクションといった仕事をこなしている彼ら、とりわけ感銘を受けたのは「Streetschool」だ。20歳から35歳の若者15人を、無料で15週間でライターに育てるという。
 帰り際にトイレを借りると、天井から下がったミラーボールが瞬きだした。これからの〈Combat〉の武器はこうした遊び心にあるのかもしれない。アドレナリンは笑うことでも分泌されると聞いたことがある。(浩)
(www.streetpress.com)

コロネル・ファビアン広場の、共産党本部の建物。

コロネル・ファビアン広場の、共産党本部の建物。
「国際旅団の義勇兵集う」

「国際旅団の義勇兵集う」
編集部の昼食風景。

編集部の昼食風景。