食事に関する習慣は、すぐに変えられるものではない。だからフランス人のジルと日本人の私の間で、食事中、時に対立が起きるのだ。
たとえば、ジルはぶどうの巨峰の粒を皮ごとのみ込むが、私は皮や種は絶対に取る。だから私はミラにも皮と種を取ってから実をあげるが、その様子を見てジルは、「種は体にいいのに…」と説教を垂れる。
また、フランス人はパンを飲み物に浸して食べることが多いが、ジルも例にもれない。以前、彼がパンをラーメンに浸し嬉しそうに食べていたのを目撃したこ
ともある。最近はミラもパパの真似をし、飲み物にパンを浸して食べたがるが、その度に洋服も汚れるため内心私は面白くない。まだ他の例もある。日本人はい
ろんなものを一緒に食べるのが好きだが、フランス人は一品一品別々に食べたがる。だから、ジルが白いご飯を全部平らげた後におかずを食べるのを見ると、私
としては納得がいかない。「ご飯とおかずが混ざり合うのが美味しい」という訴えも、聞く耳を持ってもらえない。ミラも最近、白いご飯だけを先に食べたりす
るのは、どうやらパパの影響のようなのだ。
このように日ごろからミラはパパ流・ママ流の間で引き裂かれ、少々気の毒である。とはいえ今のところ困惑する様子も見せず、至ってマイペースに、必要に応じ自分の好きな方法を選択をする彼女は、なかなかたくましくも見える。(瑞)