◎田中裕子(パリ7年)
1990年、大手企業で働いていた田中さんは、あるとき、「安定した職で、先も見えていた」生活がいやになった。「別のことをできるのでは、という自分への期待」もあった。特にフランスに強く惹かれていたわけではなかったが、フランス文学やフランス映画からフランスに興味を持っていた。仕事を辞めてフランスで語学を勉強しようと思った。1、2年語学の勉強をして、日本に戻り、語学を活かした仕事をしようと思っていた。
1991年に渡仏し1年経った頃、「自分のなかで何かが蓄積された実感がありませんでした」。そこで、ソルボンヌの文明講座でディプロムをとることを目標に、滞在を延長した。
一方、滞在が長くなるうちに、映画評論のコラムを書く仕事をするようになった。映画も好きで、書くことも好きだった。最初はアルバイトの感覚だったが、そのうちにライターの仕事が増えてきた。
フランスに来て5年経った1996年、ライターの仕事をしようと、学生からプロフェッション・リベラルの滞在資格に切り替えた。その頃は、語学学校のディプロムを取得し、美術史学校に在籍していたが、それもやめた。これでしばらくはパリで暮らすのだと思っていた。
しかし、1998年に日本に戻ることになった。決断するにあたって、二つの理由があった。一つは、仕事の面。ガイド本の仕事などで日本のライターと仕事をすることが増えてくると、自分の日本語能力が落ちていることに気づいた。当時はいまほどインターネットも発達しておらず、日本とは離れている感覚があった。「日本人として忘れてはいけないものを忘れていたような気がしていました」
もう一つは同じ時期に出会った日本人の料理人。日本で自分の店を持つために、フランスに修行に来ていた彼は、一年で日本に戻る予定だった。彼と知り合い、交際が始まり、そのうちに、日本に帰っていっしょに店をやってくれないかと彼から誘われた。
日本語で書く仕事をやり続けるために日本語をきちんと書きたいという気持ちと、彼と一緒にフランス料理店をやることが叶えられるのは日本だった。1年くらい考えたが、日本で会社を辞めたときと同じようにすがすがしく、迷いもなく、日本に戻った。
その後、田中さんは翻訳学校に通ったり、ライターの仕事をし、彼は修行を続ける生活が数年続いた。そして2004年、彼の地元の熊本で物件がみつかり、熊本に店をオープンした。
二人で店をやりながらも、田中さんは翻訳やライターの仕事も続けている。フランスを出たときは、いずれは自分の仕事を選ぶか、仕事を捨てて彼について行くかの選択をしなければいけないと思っていた。しかし、今でも二つの仕事を続けられ、それぞれが充実している。「理想よりも良い生活です」
「フランスは刺激を受ける場所であり続ける」という田中さん。日本に戻ってからは二人ともフランスに行く時間はなかったが、いずれはもう一度フランスに1、2ヵ月滞在して新しい刺激を受けたいという。(樫)
Une vie meilleure que prévue TANAKA Yûko (7 ans à Paris)
En 1990, alors qu’elle travaillait dans une grande entreprise au Japon, Yûko a ressenti le besoin de quitter «cette vie tracée sur des rails avec un emploi stable» et décide de partir en France pour apprendre le français.
Au bout d’un an de séjour, elle réalise que «rien n’est acquis ». Elle prolonge son séjour et se met à écrire des articles sur le cinéma pour les revues japonaises et au fil du temps, son talent est reconnu. En 1996, elle se consacre totalement à ce travail de pigiste, grâce auquel elle obtient le statut de travailleur indépendant.
Deux ans plus tard, deux raisons vont la pousser à rentrer au Japon. D’une part, elle sentait ses limites au niveau de la langue japonaise en tant que pigiste et d’autre part, sur le plan personnel, ce fut la rencontre à Paris d’un cuisinier japonais qui avait le projet d’ouvrir son propre restaurant au Japon.
A son retour au Japon, Yûko pensait qu’elle allait devoir choisir entre son travail de pigiste ou le restaurant de son compagnon. Mais aujourd’hui, finalement, elle continue à partager son travail de pigiste/traductrice tout en travaillant dans le restaurant qu’ils ont ouvert en 2004: « C’est une vie meilleure que prévue ! ».
ビストロ・シェ・ル・コパン
熊本県山鹿市古閑683-1 TEL/FAX : 0968-44-5605
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