— 舞踏と原発は「対極」。
「外国の人は、舞踏を見ると広島や長崎の原爆を思う人が多い。苦しんでいるような意味不明の動きで、醜悪なものを見せられた感じがすると。僕は陰と陽、美醜もすべてを内包したい。たとえば障害のある子の踊りを親が見ると美しいと見るものでしょう」
立ちのぼるのは大地と風と森の匂い。無意識の記憶に揺さぶりをかける竹之内淳志さんの舞い。ここ十年来欧州を拠点に活動してきたが、大震災発生時はちょうど日本に里帰り中だった。急きょ被災者支援活動もこなす怒とうの3カ月。元原発技術者で現在は浜岡原発停止運動の第一人者、菊地洋一さんは淳志さんの古くからの知り合い。「おっちゃん」と慕う菊地さんからは、パリに戻る前に「フランスは強烈な原発推進国。フランスで舞踏をしながら日本であったことを伝えてほしい」という言葉をもらった。
「原子力は発電しない発電。廃炉後も一万年冷やし続けるから、冷やすための電気量が作る量より多い。保持するためのお金は加味されずに『安い』と宣伝される。クリーンエネルギーというのも大うそ。原子力発電が生む熱の35%は電気となるが、後の65%は海に捨てられ地球の温暖化に手を貸す」
長袖からケロイドがのぞく人を目にした広島の子供時代。チェルノブイリ事故後は原発反対運動にもコミット。彼にとって舞踏と原発は「対極」にあるという。
「原発は強者と弱者という差別社会の中でしか存在できない。アメリカは隠しているけれど、ウラニウムを掘る時にネイティブアメリカンがどれだけ被曝(ひばく)してきたか。日本も仕組みは同じ。フランスは処理施設を持てないソマリアに放射性物質を捨て、その海岸には放射性廃棄物が入ったタンクがぷかぷか浮いている。それに対して舞踏は生命の自由表現です。生きとし生けるものは神を内在し、すべてが尊く、そこにヒエラルキーはない」
とここまで語り、淳志さんはふいに「偉そうに言っちゃったかな?」とはにかむ。「最近は舞踏を教えることもあるけど、自分は舞踏家である前に一人の人間。自分は地球とつながった存在なのだと、踊りで自分に言い聞かせています」(瑞)
竹之内淳志さんのサイトwww.jinen-butoh.com
神戸震災時の鎮魂と追悼の舞。 © Koji Fukunaga
屋久島の杉の木とともに(c)Georges Karam
ブラジルにて(c)Hiroko Komiya
オランダのライデンではチューリップ畑で野外公演(c)Fields of Wonder
自然や太古をテーマにした作品が多い(c)笹井利恵子