2000年9月24日、19歳でボランティア消防士になったばかりのヴァンサン・アンベールさんは交通事故で九死に一生を得、 9カ月の昏睡後、意識を取り戻すが四肢麻痺、記憶喪失、口もきけず盲目同然、胃ゾンデで栄養補給。意識と身体が二分された植物人間ヴァンサン君を医師は「ミミズと思えばいいでしょう」と母親を絶望の果てに追いやる。なのに医師は「彼は成人です、彼自身が決めることです…なんという欺瞞! ぼくの置かれた状態で何が決心?…どうして医師は患者、家族の代わりに決定できるのか? ぼくの延命治療の目的は何なのか?」と、”生きる屍”と化したヴァンサンの無声の叫び。
息子の事故の数カ月前に離婚した母親マリ・アンベールさん(47)はノルマンディーの療養所の前にある、患者の家族が泊まれる宿舎に移り住み、朝晩家政婦として働きながら毎日病室に通う。病室の壁を絵葉書で飾り息子に語り、息子が好きだった音楽を聞かせ、ついに彼の親指に入る力で意志疎通ができることを発見する。そこで母親はアルファベットを何度もAから唱え、彼がストップをかけた文字を次々に書き取っていく。が、ヴァンサンの身体的回復の見込みはないとし、医師は医療設備のない施設への移送を予告する。この知らせは彼の2度めの死であった。以来、彼は、死ぬことしか母親と語らなくなる。
ヴァンサンが考えついたことは、刑罰の恩赦を下すことのできる大統領に『死ぬ権利を要求する』手紙を書くことだった。「ぼくは月を求めているのではなくたんに死ぬ権利を求めているのです。動物でさえこんなふうには苦しませないでしょう。人間はなぜ?」。シラク大統領に宛てた手紙が地方紙に発表されて初めて大統領からの感極まる自筆の手紙が届く。「あなたの希望に応じる権利は大統領にはないのです」と答えながらも、大統領はどうにかして母子の苦しみを和らげようと病室に直接電話をかけ、母親をエリゼ宮に招くがヴァンサンの叫びに父親として耳を傾けてくれるだけだった。安楽死が認められているベルギーかオランダに行くという案も手続きが複雑で困難だった。残るのは第3案。「ぼくを愛しているのならママがやってほしい、ぼくへの最高の贈りものとして」と、母親としてはとうてい不可能な行為を要求し、母親もそれを約束する。
ヴァンサンが3年前に死ぬはずだった日、9月24日に母親は胃ゾンデにバルビツール酸らしき薬剤を投入、母親はその場で”殺人”の疑いで警察に連行されたが翌日精神科に送られた。26日、医師たちは昏睡状態のヴァンサンの人工呼吸器を外し、彼を”天国”に往かせたのだった。
ヴァンサンが親指の力で一字一字をヴェイユ記者に書き取らせた著書『死ぬ権利を要求します』が、やはり9月24日に”遺書”として発行された。それは、ヴァンサンの死に向かう厳然たる意志と何にも代えられない母子の愛の結晶といえる。ヴァンサンは、尊厳死をタブー視するフランス社会の欺瞞への怒りを遺し、幾重もの波紋を投じて往ったのである。(君)
Vincent Humbert “Je vous demande le droit de mourir”
Frédéric Veille Michel Lafon社発行 17euros
延命治療の停止による”安楽死”
53% 人工呼吸器につながれている患者 の死亡者中、治療停止による死。
90% その場合、医師たちの決断による。
44% 医師の決断に家族が立ち会う。
*2001年、The Lancet誌に掲載された、フランスの蘇生医を対象としたアンケート。
(Le Monde : 03/9/29)