歴史に名を刻んだレズビアンたちの足跡をたどって何か啓示を受けようと、パリ散策に出かけた。20世紀とはいえ、世間の逆風も強かっただろう時代に、世間体などどこ吹く風、信念と欲望のままに人生を突き進む女たちがいた…。
案内人はPGV*足の長いハンサムなギャルソンヌ、美術史が専門のM.ユエさんです。
*PGV(パリ・ゲイ・ヴィレッジ)には歴史や美術史の専門家たちが8人ほどいて、パリ・ゲイカルチャーの要所を案内してくれる。〈ルーヴルからコンコルド広場までの歴史的レズビアンスポット〉〈ピガールのレズビアン社交場〉、18世紀のナンパ場所… このページでは、ほんの一部をご紹介。
www.parisgayvillage.com/catalogue/
▼ 著名レズビアンに会いに行く
❶ギュスターヴ・クールベの 「眠り」
『眠り』、別名『怠惰と情欲』プチ・パレで見られます。
Petit Palais : Av. Winston Churchill 8e Paris
❷ローズ・ヴァラン-学芸員のレジスタンス
ジュ・ド・ポーム美術館の学芸員ヴァランは、1940年にパリを占領したドイツ軍が、ユダヤ人の美術品などを没収する実態を4年間、秘密裡に記録。実は独語使いだった彼女は、独軍高官の会話をノートしゴミ箱からメモを拾い読むなど諜報活動。戦後45000点の作品のドイツからの返還が可能となった。戦後出会った英国人の女性と最期まで愛し合った。
Jeu de Paume : 1 pl. de la Concorde 8e
❸コレットと、マチルド・ド・モルニー公爵夫人
コレットが最初の夫と別れた後、1906年からミッシーと暮らした家。ミッシーはナポレオン家の血を引く公爵家の令嬢で、コレットを養いブルターニュに屋敷を買う。男装しマックスと名乗って乳房切断、子宮摘出手術。ふたりはムーラン・ルージュで共演し接吻シーンで大騒ぎとなった。
44 rue de Villejust (現rue Paul Valéry) 16e
▶︎パレ・ロワイヤルの、コレット最後の家 :9 rue de Beaujolais 1er
❹クロード・カアンとマルセル・ムール
坊主刈りの中性的なセルフポートレート写真で有名なカアンはシュザンヌ・マレルブと芸術も生活も共にした。英国領ジャージー島に移住後、島がドイツに占領され、ふたりはレジスタンスを行うが逮捕された(カアンはユダヤ人)。パリ市は2018年、ふたりの家とアトリエに近い並木道にふたりの名を付けた。
Allée Claude Cahun-Marcel Moore 6e
❺ガートルード・スタインとアリス・B・トクラス
米から移住したスタインが美術批評家の兄レオと暮らし若いピカソ、ブラック、マティスらを招き、作品を収集した家。生涯の伴侶アリスともここで暮らした。 27 Rue de Fleurus 6e
❻ナタリー・バーネイのサロンと 「友情の寺院」
『サッフォーの田園詩』など女性間の恋愛小説を書いたバーネイ。詩人のルネ・ヴィヴィアン、クレルモン=トネール公爵夫人エリザベート・グラモン、50年関係が続いた画家のロメイン・ブルックスなど愛人は多かった。彼女のサロンにはコレットやマタ・ハリ、ロダンやジッド、コクトー、フィツジェラルド、リルケら文化人が訪れた。中庭の一角には「友情の寺院」。
20 rue Jacob 6e
❼アカデミー・フランセーズ (フランス学士院)
小説家マルグリット・ユルスナール、1980年女性初(レズビアン初)のアカデミー・フランセーズ会員に。
▼ キャバレー&出会いの場
(●:今 / ●:昔)
❶La Mutinerie
行けば何かしら楽しいことがありそうな場所。〈体と心の相談日〉〈護身術レッスン〉など日々違うプログラムが多様。”Scène ouverte”の日は希望者が壇上で自由表現。体験談、歌、漫才など。飛び入り可。
176 – 178 rue Saint Martin, 3e 無休 17h~1h30
❷Le Bar’Ouf Paris
前出La Mutinerieの隣。隣より1~3世代お姉さん。男子の姿もちらほら。入りやすい店。踊れる。
182 rue Saint Martin 3e
❸Ici bar de Filles (2頁インタビュー参照)
6 rue de la Tacherie 4e
❹So What
マレ地区らしい歴史的建造物で外からは小さいバーに見えても、ダンスフロアは広めでポップからロックまでライブ多。
30 rue du Roi-de-Sicile 4e
❺Chez Moune
1936年開店。ピガールの伝説的な女性専用キャバレー。現在もクラブだがレズ専ではない。
54 rue Jean-Baptiste Pigalle 9e
❶La Vie Parisienne
30年代に人気だったキャバレーLa Vie Parisienneは「日本人街」にあった!シュジー・ソリドールが1930年に開いたこの店はレズ専ではなかったが、シュジーは女を誘う『開いて』などを歌いスキャンダルに。フジタ、レンピカ、ローランサンなど多くの画家が描いた自分の肖像画でキャバレーの壁を覆っていた。
12 rue Saint-Anne 1er
❷W.H.Smith
2度の大戦の間、富裕レズビアンの出会いの場だったティーサロン。
248 rue de Rivoli 1er
❸Le Monocle
30年代モンパルナスを代表するキャバレー。マレーネ・ディートリッヒやアナイス・ニンらも訪れた。スモーキングに蝶ネクタイを締め片眼鏡Monocleをかけたダンディな女たちをブラッサイが写真に収めている。第二次大戦で閉店、戦後 Le New Monocleがオープン。
60 boulevard Edgar-Quinet 14e
▼ お墓参り
Cimetière du Père-Lachaise
❶画家マリー・ローランサンとニコル・グルー
詩人アポリネールとの恋愛ばかりが語られるローランサンだが彼女にはニコル・グルーという愛人がいた。「鳩と二人の女、あるいはM.ローランサンとN.グルー」でローランサンは自分とニコルを描いた。兄ポール・ポワレと同じくデザイナーのグルーは女性をコルセットから解放したベルエポック調のシルエットのドレスを作った。
❷動物画家ローザ・ボヌールの墓
1865年女性(レズビアン)画家として初めてレジオンドヌール勲章を受章したボヌールもこの墓地に眠る。
❸Loïe Fuller ロイ・フラー
「モダンダンスの祖」ロイ・フラー(1862-1928)。1900年のパリ万博会場に「ロイ・フラー・シアター」を設け川上貞奴を舞台に立たせた。イサドラ・ダンカンの師でもあり、発明家でもあった彼女は化学塩を衣装に塗り発光させるなど演出の研究にも熱心だった。16歳年下の恋人ガブリエル・ブロックとは死ぬまでの23年間を共に過ごした。
Cimetière de Montmartre
❹モンマルトル墓地
マリーローランサンの恋人ニコル・グルーがクチュリエの兄ポール・ポワレと共に眠る墓。