
Entrée au Panthéon de Marc et Simonne Bloch
アナール学派の歴史家として知られ、第2次大戦のレジスタンス闘士として没したマルク・ブロック(1886‐1944)、および妻シモーヌ・ヴィダルが、6月23日にフランスの偉人廟パンテオンに祀られる。
マルク・ブロックはリヨンのユダヤ人家庭に生まれ、歴史地理の教師の資格を取得し、モンペリエなどの高校で教えた。両親は1870年普仏戦争でフランスが敗北し、アルザスがドイツ領となった際に、フランス領にやってきた。第1次大戦に従軍した際は、その働きでレジオン・ドヌール勲章を受章した。その後、1927年にストラスブール大学の中世史の教授に就任。24年には後に代表作の一つとなる、奇跡をもって病気を癒す仏英の王たちを描くことで王の権威の確立について論じた『王の奇跡-―王権の超自然的性格に関する研究』(Les Rois thaumaturges)を出版。
29年にはリュシアン・フェーヴルとともに学術誌『社会経済史年報』( »アナール(Annales) » : Annales d’histoire économique et sociale)を発刊し、従来の事件史的な歴史学に民衆の生活に注目した「社会史」的視点を加え、経済学、統計学、人類学、言語学などを取り入れた新たな歴史学の学派「アナール学派」を立ち上げた。この学術誌は「Annales. Histoire, sciences sociales(歴史・社会学年報)」と名を変えて現在も刊行されている。
ブロックは第2次大戦がはじまると1939年に仏軍参謀将校として従軍したが、フランス軍の降伏後はユダヤ人であるために公職を追われて地下にもぐり、1943年にレジスタンス運動に加わった。だが、1944年3月8日にリヨンでゲシュタポに捕えられ、6月16日に銃殺された。アナール学派の歴史家として評価され、死後の1946年に出版された、フランスの第2次大戦の敗北の原因を分析した『奇妙な敗北-1940年の証言』(L’Étrange Défaite)も今なお読み継がれている。妻のシモーヌ・ヴィダル(1894‐1944)は秘書の役目を果たして夫の研究発表に大いに貢献したとされ、ともにパンテオンに祀られる。
マクロン大統領は昨年11月、ストラスブール解放80年の記念式典の席上、「彼の作品、教育、勇気」そして、「今日なおわれわれに衝撃を与える冷徹な洞察力」に対してパンテオンに祀ることを明らかにした。遺族の希望により、ブロック夫妻の遺骨はパンテオンに移されず、記念碑が建てられる。また、遺族は「あらゆる形の極右は決してセレモニーに参加しないよう」との希望を表明したという。(し)
パンテオンで展覧会「マルク・ブロック 歴史の精神」
6/25 〜 1/7

マルク・ブロックのパンテオン入りを機に、ブロックに関する展覧会がパンテオン内で開催される(6/25 〜 01/10)。展覧会は3部構成で、第一部はブロックの家族と育った環境と教育を、第二部では、軍の資料や証言とともに、2回の世界大戦におけるブロックの活動と『奇妙な敗北』をはじめとする出版物。第3部では、教職と『王の奇跡-―王権の超自然的性格に関する研究』、リュシアン・フェーヴルとの「アナール」誌立ち上げ、後世に遺したものを紹介する。また、7月3日には『奇妙な敗北』の朗読スペクタクル(20h-)。予約は以下インフォメーション参照。
