フランスは王朝時代から王様、大統領の妻は、民事においても免責特権を有する元首には離婚を申し出られない(子供ができない理由でナポレオンは妻ジョセフィーヌと離婚)。 で、10月初旬から噂が渦巻いていたサルコジ大統領夫妻の離婚について10月18日、大統領府のスポークスマンが最初は「別居」、数時間後に「協議離婚」と公式発表(15日に裁判官前で署名したとか)。破局までの経緯を追ってみよう。 セシリア夫人は80年代サルコジ内相時代から彼の顧問役を務め1996年に二人は再婚、複合家庭で二人の息子ルイ君は現在10歳。公私ともに一心同体、エリゼ宮制覇を目標に突進してきたが、2005年ころから夫婦関係に亀裂が入る。選挙キャンペーン中、セシリア夫人は広告代理店Publicis の幹部アチアス氏と恋仲になり、N.Y.のホテル前でパパラッジに撮られた二人の写真がパリマッチ誌の表紙を飾るまでに(サルコジ氏は怒り狂い編集長は首に)。一年間セシリア夫人は夫の選挙遊説にも姿を見せずN.Y.に行ったり来たり。サルコジ大統領もコキュ(寝取られ男)を返上しフィガロ紙ジャーナリストと浮気し、セシリア夫人を引き戻すためか不倫外出シーンを雑誌に公表、テレビでも「一般人同様、夫婦関係の危機に遭遇」と告白している。が、2006年春、二人は元のサヤにおさまり(?)、念願の大統領当選までばく進する。 今年5月6日、ついにサルコジ大統領誕生 ! ファーストレディに ! と一番感動すべきはずのセシリア夫人は、決選投票には気分が悪いと言って行かなかったし、コンコルド広場での勝利祭典の舞台でも心ここにあらず。が、フィヨン首相他、閣僚の人選にも彼女の好き嫌いが取り入れられ、夫妻の親友ダチ法務相のように一足飛びに要職についた者、退けられた側近も多い。 彼女が大統領夫人とか○○夫人を演じるのを嫌うのは周知のことだが、6月ドイツでのG8サミット2日目、娘の誕生日を理由に同伴者昼食会は欠席し帰国。8月サルコジ大統領の米国での避暑滞在中、ブッシュ大統領家族の招待をすっぽかし、仏大統領は「彼女は口峡炎で…」と苦し紛れに言い訳し頭をかく。そして10月6日、リビアからのブルガリア人看護師らの解放に一役買ったセシリア夫人は、ブルガリア政府から招待されたがそれに応えず、大統領が代わりに行き、「彼女は同事件でのメディアの扱い方に怒っているので」と真実らしい言い訳で面子を保つ。 ファーストレディの座を好まないセシリア夫人はエリゼ宮の模様替えにも気が向かず、大統領家族がエリゼ宮に引越もしないまま夫妻は離婚に突入。セシリア夫人との夫婦生活以前からの癒着を断ったサルコジ大統領は、初めて国民と正面から向かい合うことに。(君) |
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