3月27日午前1時過ぎ、ナンテール市議会閉会直後、傍聴者リシャール・デュルヌが自動小銃を乱射し、議員53人中8人を射殺、19人に重軽傷を負わせた。現場で逮捕された犯人はその翌朝、パリ警視庁で警察官から尋問を受けている最中に、 4階の小窓から飛び下り自殺し、劇的な終局を国民に見せつけた。 リシャール・デュルヌ、33歳。母親(65)は58年スロベニアから夫とフランスに密入国し、68年にある男性との間に生まれたのがリシャール。彼の誕生後1週間後に夫と離婚、掃除婦をしながら「望まざる息子」と暮らしてきたという。学校で優等生だったリシャールは、90年代に大学で歴史科一般課程後、政治学、語学と ”万年学生”を続け中・高校の生徒監督を務めるが、二度自殺未遂で精神科に入院したことも。93年以降、人道的活動に加わりコソボへ支援物資を届けたり、社会党や緑の党の活動家とも接し、市議会では常連の傍聴者に。33歳にして母親と暮らす無職のデュルヌは、重なる挫折と恋人もいない孤独に苛まれていく。 ルモンド紙(3/29)によると、95年にデュルヌは射撃クラブに登録し、97年3月、6挺まで保持できる許可を得、自動小銃(口径9mm)と拳銃マグナム357を購入、98年にも同型の自動小銃を購入している。 フランスでは銃器の所持は警官など職業的に許される者だけに認められ、個人は猟銃として自宅に保管しておかねばならない。射撃クラブには前科がないことを証明する文書を提出後、加入が認められ、6カ月後に銃器保持の申請ができる。銃は購入後3年ごとに認可更新が必要、それを怠ると銃の不法保持となる。したがって2001年3月以来デュルヌは銃器法違反者に。そのうえ彼は98年に大学病院付属の精神科医を拳銃で脅し、病院はこの事件を正式に警察には届けなかったという。 犯行の前日、デュルヌは母親と2人の友人への手紙を投函している。ルモンド紙によると、その一人には「自分は狂暴な人殺しになるだろう。跡を残さず一人では死にたくない…社会で際立つことも恋することもできない性的欲求不満者だ、死ぬしかない…世の中で無である自分を恥じる」と書き送っている。また、逮捕後の尋問調書(4/3日 le Parisien紙が抜粋を発表)には「自分は生きる屍だ、わたしが憎悪する町を代表する地方のエリート、リーダーたちを殺し、すべてを終わりにしたかった」と供述している。 自動小銃を乱射するデュルヌを数人の議員が命を賭して差し押さえたのに、その凶悪犯が2人の警察官の目前で窓から飛び下り自殺を遂げたことへの、射殺を免れたフレス共産党女性市長を初め、被害者、遺族、市民の憤りは、ヴァイアン内務相も認める警察の「重度の機能障害」への怒りに変わりつつある。 大統領選挙戦たけなわ、治安をキャンペーンの目玉とするシラク(大統領)候補はこの狂気の犯行もひっくるめて治安の悪さの一例とし、ジョスパン内閣の失点稼ぎに汲々としているようで惨劇の後味の悪さをさらに悪くしているといえる。(君)
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銃器数は10年間で1/3に減ったが… 1500万丁 現在仏国内の銃器数 1000万丁 猟銃又はコレクション 10万丁 年間販売数(10年前の1/3) 600店 銃砲店 ( ’93 : 約1300店) * Libération : 02/3/28 |