「歯に衣着せず」という表現があるが、サシャ・ギトリの作品中の登場人物もこの言葉どおり、酷なほど率直にものを言う。売れっ子作家の夫 (ミシェル・オーモン) は、「唯一の取柄だった美しさははかなく消え、残るは眉間に皺よせる口うるさい女の姿だけ」と、 40年も連れ添った妻を忌み嫌い、妻 (ジュヌヴィエーヴ・カジール) は、「アカデミー・フランセーズ入りもレジオン・ドヌールも拒む名誉嫌いの夫に残されているのは、もっと売れる作品を書くことだけ」と創作意欲を失った夫を仕事へと追いたてる。 ところが、 夫が突然の病に倒れることで夫婦の立場が逆転し、 妻は水を得た魚のように夫の仕事に采配をふるうようになる。この作品は、ギトリの父親で俳優だったリュシアン・ギトリとサラ・ベルナールのために書かれた。 夫の発作を機に美しい夫婦愛が描かれるかと思いきや、妻はますます欲深く意地悪な存在に描かれていく。 それでいながら女性は結局愚かな生き物でしかなく、夫への仕返しを夢見る妻の存在そのものも、結局は作家である夫の小説の題材に過ぎなくなる…という最後の落ちはギトリ独特の皮肉か、それとも素直になれない男のテレなのか? この作家が言う通り、日常が「題材の宝庫」だとすれば、140の芝居と30本の映画を残したギトリは、自分の日常からいくつ「題材」を得たのだろう 。一緒に暮らした女性たちはさぞ悔しい思いをしたに違いない。 演出はジュヌヴィエーヴ・テニエ。(海) * Theatre du Palais Royal: 38 rue de Montpensier 1er 01.4297.5981 火~金/20h30、 土/17hと21h、 日/15h30 。70F~260F
● En attendant Godot ● Festival d’Automne a Paris |




「歯に衣着せず」という表現があるが、サシャ・ギトリの作品中の登場人物もこの言葉どおり、酷なほど率直にものを言う。売れっ子作家の夫 (ミシェル・オーモン) は、「唯一の取柄だった美しさははかなく消え、残るは眉間に皺よせる口うるさい女の姿だけ」と、 40年も連れ添った妻を忌み嫌い、妻 (ジュヌヴィエーヴ・カジール) は、「アカデミー・フランセーズ入りもレジオン・ドヌールも拒む名誉嫌いの夫に残されているのは、もっと売れる作品を書くことだけ」と創作意欲を失った夫を仕事へと追いたてる。 ところが、 夫が突然の病に倒れることで夫婦の立場が逆転し、 妻は水を得た魚のように夫の仕事に采配をふるうようになる。
孤独、退屈、憐憫、記憶の喪失、愛情、憎悪、絶望、そして不安、不安、不安…ふたりの男は「ゴドーを待ちながら」約束の木の下で時間の感覚を失っていく。 いつからここにいるの? そしていつまで?