海に垂れ流される放射性廃液。生態系を汚染させている犯人。写真提供:photos / Greenpeace France
「その晩、私は世界が災厄に向かって、突き進んでいると考えざるを得なかった」
核というアポリア*のはじまり
1938年12月オットーハーンが発表した世界で初めての核分裂反応現象を予見し、マンハッタン計画**の火付け役となったハンガリーの科学者レオ・シラードの言葉である。ここから原子力エネルギーが恐ろしい原爆となり、また今日の原子力発電から核燃料サイクルに至る道程がはじまる。現代文明のアポリアがはじまったのだ。広島の原爆投下時に「フランス・ソワール」紙は原子時代の幕開けを賛美したが、逆に、アルベール・カミュは「人間があからさまにした破壊への熱狂」を賛美することを不謹慎とした数少ない作家だった。 近年、連続的に起こった原子力関係の事故やスキャンダルは、今までタブーだったフランスにおける原子力のヴェールを剥がしはじめた。フランスの原子力の歴史を簡単に辿りながら、その実情と反対運動の経過を見てみよう。
* 解決できない難題
* *米国が原爆開発をはじめた最初の計画
のどかに見えるラ・アーグ再処理工場と酪農の牛たち。しかし、そこには原発の3千倍以上の目に見えない放射能が…。
ラ・アーグ再処理工場では日本からの使用済み核燃料も再処理されている。ラ・アーグを核のゴミ捨て場にしている責任は日本にもある。
干潮で海面から露出したラ・アーグ再処理工場の排水パイプ。放射性の廃液が海や海の生物たちを汚染する。ここでは自然状態の3千倍の放射能が検出された。