3月1日に91歳で他界したアラン・レネ、また映画の巨星がひとつ消えた。
ブルターニュ出身、12歳で8ミリカメラを手にし映画制作開始。映画学校IDHEC一期生として編集を学ぶ。50年代に「パリ左岸派」として頭角を現し、仲間のクリス・マルケルとは政治的志向、アニエス・ヴァルダとはシュルレアリスムへの愛を分かち合う。長編第1作『二十四時間の情事』(59)は、ゴダールを嫉妬させるなど常に一目置かれる存在。『去年マリエンバートで』(61)で「難解な記憶の作家」と見なされたが、作風は幅広くドキュメンタリー(『夜と霧』)、SF(『ジュ・テーム、ジュ・テーム』)、ミュージカル(『巴里の恋愛協奏曲』)、戯曲の映画化(『スモーキング/ノースモーキング』)と多様。80年代以降は妻のサビーヌ・アゼマ、ピエール・アルディッティ、アンドレ・デュソリエらの俳優と「レネ座」とも言うべき親密な関係を結び、『人生は小説』、『メロ』など快作を連打。『恋するシャンソン』(97)は最大のヒットに。
ヌーヴェルヴァーグ世代ではトリュフォーより10歳上のダンディな兄貴キャラだが、年を重ねる度に若返り、晩年は真っ赤なシャツがよく似合った。彼の崇拝者のひとりアルノー・デプレシャンによると「いつも実現不可能な映画を探していたような人」。現在、遺作『Aimer,
boire et chanter』が公開中だ。(瑞)