
« Enfants de la Creuse クルーズの子どもたち »とは。
1962~1984年にインド洋のフランス海外県レユニオン島から、半ば強制的に本土に連れてこられた子どもへの償いについて定めた法案が今年1月の国民議会に続き、上院で満場一致で採択され、6月16日に最終的に成立した。同法は29日に施行された。
このレユニオン島の子どもたちの強制移送は、首相(1959-62)経験者でもあったレユニオン選出のミシェル・ドブレ国民議会議員(故人)らが推進。出生率が高く人口増加の著しいレユニオンから、都市への人口流出で過疎地域になった本土南西部のクルーズ、タルヌ、ジェルス、ロゼールなどを含む83県に、乳児から15歳くらいまでの子ども2015人が国の保護児として移送された。
そのうち200人以上の子がクルーズ県に行ったため、子どもたちを総称して「クルーズの子どもたち / Enfants de la Creuse」と呼ばれる。レユニオンの親たちは、子どもが本土で高い教育を受け輝かしい未来を期待できる、いずれ戻ってくる、と信じ込まされていたが、実際には兄弟姉妹は引き離され、氏名も変えられた。乳幼児らは受け入れ地の家庭の養子になったり、児童福祉サービスの名のもとで寮のような施設に住んで無償で農業などの労働をさせられたという。家庭や施設で虐待を受けた子、精神を病んだり、自殺を図る子も少なくなかったという。こうした子どもたちから成るいくつかの市民団体は30年ほど前から活動してきたが、この件が公になったのは、被害者である男性が2002年に告訴したことが全国メディアで取り上げられるようになってからだ。
やっと2014年2月になって国民議会がレユニオン選出の社会党議員の提出した決議案を賛成125票、反対14票で可決した。この決議案は「クルーズの子どもたち」に対し国の道義的責任があるとし、自分の出自を知りたい各子どもには国がそれを支援することが盛り込まれた。
また、2016年には社会学者らから成る委員会が政府により設立され、「クルーズの子どもたち」を特定し、補償方法を模索することを託された。2018年に提出されたその最終報告書では、国の道義的責任を認めたが、法的な責任や賠償問題はあいまいなままだった。一方でマクロン大統領は2017年、「国の施策は間違っていた」と認めたものの、金銭的賠償の問題には言及していない。
今回の法案成立により、「クルーズの子どもたち」の歴史を記録する委員会の創設、2014年に国民議会で国の道義的責任を認めた決議が採決された2月18日を彼らに敬意を捧げる日にすること、国が設立する連帯基金により被害者に定額手当の形で損害賠償の権利を与えることが盛り込まれた。ただし、申請条件や賠償金の金額・条件などは後に政令で決定され、申請できる期間は今後3年間に限定されるとみられる。
多くの植民地が独立を果たした1960年初頭直後に始まった、非常に植民地主義的な子どもの強制移送が80年代前半まで続いたことにも驚かされるが、国の「道義的」責任が認められたのが2014年、親から引き離され身元を勝手に変えられて苦しんだ子どもたちへの補償の枠組みが、21世紀も4分の1を過ぎて制定されたことに今さらながら驚きを禁じ得ない。(し)
