女優の故・森光子さんは、芸術座の舞台『放浪記』で見せる、でんぐり返りがトレードマークだった。原作にはない演技だそうだが、作者の林芙美子(1903~51年)の生涯を巧みに表現している。山口県の貧しい家庭に生まれ、いくつもの転機を経て、ペン一本で時代の寵児となった芙美子にとって1931年末から半年ちかくを過ごしたパリもまた、大きな <でんぐり返り> の場だった。
ダンフェール・ロシュロー広場の28番地に今も残る、ホテル・フロリドール。入り口に「1泊45ユーロ」と破格の値段が掲げられている。当時も「月400フラン」と安かったこのホテルで芙美子はパリ滞在の大半を暮らし、アリアンス・フランセーズの夜学に通いながら、小説を書きつづけた。
日本の下町を思わせる近くのダゲール通りは、大のお気に入りだった。彼女がよく執筆につかっていたカフェで、翻訳家で作家のコリーヌ・アトランさんに会った。村上春樹や井上靖などの名作を60冊も訳してきた彼女だが、芙美子の作品には格別思い入れがつよいという。奇遇にもこの界隈に最近まで住んでいたそうだが、〈ご近所さん〉の贔屓目抜きにして、「彼女が描く男女の追いつ追われつの会話には、今のフランスでも十分に通用する普遍性がある」と評価する。
彼女が訳した『浮雲』は事務員としてインドシナに赴き、敗戦で引き揚げてきた、ゆき子が主人公。異国で長年暮らして帰ってきた女性の〈楽園を失ったような感覚〉に、ネパールに10年以上滞在してフランスに戻ってきたコリーヌさんは共感をおぼえる。ただ、楽園といっても、たんなる観光地ではない。むしろ自らの存在のすべてを賭けて、新たな価値観を得る場とでもいったところだろう。
芙美子のパリ生活も然り。言葉の壁や孤独感に悩まされたり、誤ってアルコールランプを倒して失火したり、病気になって「もうぢき死ぬのではないかと思ふ」などと日記で弱音をはいたこともある。帰国送別会の写真では、微笑む知人に囲まれて、ひとり不満気に横を向き、唇を結んでいる。
帰国後、彼女は人気作家の道をひた走る。同時に、ライバルや批判者には容赦しなかった。芙美子が亡くなったとき、葬儀委員長の川端康成は「故人は自分の文学的生命を保つため、他にたいして時にはひどいこともしたのでありますが、どうか故人を許してもらいたいと思います」と、弔辞によんだという。
それでも「厳しい現実に鍛え上げられた作家はいい」といって、コリーヌさんは芙美子が下駄履きで闊歩した通りに目をやった。芙美子だけではない。スペイン内戦で早逝した写真家ゲルダ・タローや映画監督のアニエス・ヴァルダ、そしてコリーヌさん、この街角には才気ある女たちをひきつけてやまぬ不思議な磁力があるようだ。(浩)
コリーヌさんの小説 『Le Cavalier au miroir』(ASIATHEQUE刊、 2014年)
列強が覇権を争う19世紀から20世紀のチベットを舞台にした歴史小説。読み応えがある。