周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』は、満員電車の中で痴漢(ちかん)に間違われ、無実にもかかわらず有罪判決を受けた男性の実話をもとにしている。いわゆる痴漢冤罪は日本では何件もあり、濡れ衣を着せられた者の中には、死をもって疑念を晴らそうと、警察署のトイレで縊死した若者もいる。
こうした冤罪が起きる背景には、頭ごなしに「お前がやったのだろう」と決めつけてかかる捜査側の先入観もさることながら、勝手な証言をでっち上げ、白いものまで黒としてしまうような、周囲の屈折した義侠(ぎきょう)心がある。それは確かに抑止力として見ることもできるが、同時に、自分が痴漢に仕立て上げられてしまうのではないかという、周囲への不信感をもたらす。
2月4日の深夜0時少し前、これと対極をなすような事件がリヨン駅発の下り電車で起きた。ムーラン市に帰宅中の22歳の女子学生が、他の乗客がいる中で見知らぬホームレスの男に強姦されたのである。パリジャン紙をはじめ多くのメディアがこの事件を報じた。世間の耳目は、事件そのものの卑劣さより、誰一人として彼女を助けなかった事実に集まった。とくにテロ事件後に敷かれた厳重警戒態勢の下でこうしたことが起きたという衝撃は大きい。
他の乗客がいる電車の中で女性がレイプされた事件は、以前にもあった。2001年にはダンケルク=リール間の電車で、ある女性は6人組に陵辱(りょうじょく)された。助けを呼び、非常ブザーを押したにも関わらず、60人近くいた列車の乗客は、止めに入ることはしなかったという。フランスは個人主義者の国だ、という通説がある。しかし、それは他人の非道を看過してよいという道理ではないはずだ。
2月4日の事件と前後するように、イヴリーヌ県選出のヴァレリー・ペクレス元高等教育・研究相は、公共交通機関の治安を強化する法案の提出を決めた。今後も地下鉄やバス、電車の中に設置される防犯カメラの数は増えるだろう。
だが、カメラに遠隔操作の麻酔銃でも付いていない限り、犯人を止めさせることはできず証拠を残せるのが関の山だ。現場の人たちでなく遠くの監視センターに頼るのは良策だとは思えない。
無実の人を痴漢に仕立て上げる冤罪も、見て見ぬふりをする不干渉も、「他人など、どうだっていい」という、我々ひとりひとりが持っている、いやしい小さな傍観者が引き起こしているように思う。彼は防犯カメラでは捉えることのできぬ心の死角に潜んでいる。(浩)