◎藤澤進大郞(ラ・チュルビー:1年)
子どもの頃から料理人に憧れていた進大郞さんは、調理科がある高校に進み、2000年に卒業すると、オテル・ドゥ・ミクニに就職した。イタリア人やアメリカ人も研修に来る厨房では、調理用語やオーダー、数の数え方もフランス語だった。タイのホテルでのレストランフェアに参加したり、フランス大使館のケータリングもやるうちに、フランスに行きたい気持ちが強くなった。
フランス語教室に通い始め、ミシュランガイドやインターネットで働きたい店を探した。寒いところは苦手なので、南仏を中心に探し、メールでコンタクトをとった。渡仏にあたっては、一番現実的なワーキングホリデービザを選んだ。2008年春、ビザの申請をすると、予想外の早さで、2週間後に返事がきた。年末まではオテル・ドゥ・ミクニで働き、1月になるとすぐにフランスに飛び立った。
働き先は南仏、ラ・チュルビーにある二つ星レストラン、Hostellerie Jérôme。レストランは冬場は営業しておらず、夜のみの営業だったが、通年オープンしているビストロも経営しており、両方で働くことができた。
日本の厨房でもほとんどフランス語だったので、働き始めてからも違和感はなく、よい環境で働くことができた。南仏の街だったので、バカンスシーズンの3ヵ月間は休みなく働きづめだったが、それも「面白かった」という。
シェフは朝5時から、国境を越えたイタリアのヴェンティミーリアの市場に買い出しに出かけ、トラックに山のように積んできた。豊富な魚介類も含め、旬の素材を選び、そこから何を作るかを考えるというやり方だった。年間を通していたので、南仏の季節の素材を一通り見られた。シンプルな調理法、果物もふんだんに使う料理、食材の可能性を最大限に引き出す組み合わせなど、学ぶことは多かった。「シェフはよく働く〈親父さん〉、ワイルドな感じで、横で見ていても楽しく、勉強になりました」
2009年12月、ワーホリビザの期限がきて日本に戻ることになった。翌年からは以前から誘われていた、店を開いたばかりの高校の先輩の店で働くことにした。その後、いくつかのフランス料理店で働き、2013年から、フランス人がオーナーの現在の店でシェフを任されている。厨房は進大郞さんだけで、サービスでもう一人がいるワインバー。築地に通ったり、近所にある旬のものだけを扱う八百屋さんで、食材を見てから料理を決めている。
フランスで印象に残っているのは、郷土料理しか出していないニースのレストラン〈La Merenda〉。イタリアに近いので、バジルソースがかかった生の手打ち麺や、ピサラディエール(ピザに似た南仏の料理)、ズッキーニの花だけのベニエなど、その地域独特のものをシンプルに出していた。地元の人も毎日来るような雰囲気も好きだった。
今の店も近所の人が多く、カウンター越しにお客さんと話をしながら料理をしている。フランス料理一筋14年、かなり理想の店に近づいてきたそうだ。(樫)
ビコック(東京・神楽坂)
www.facebook.com/bistro.lounge.bicoque
03-6280-8260
柑橘類を食べている四国、しまなみ海道のイノシシは、臭みがなく、おいしい。15キロの半身。