絹の町リヨンで、最も長い歴史を持つ絹織物メゾンが〈タシナリ&シャテル Tassinari & Chatel〉社。ヨーロッパ文化遺産の日に、パリ2区のショールームが一般公開された。ガイドを勤めるジャン=リュックさんのレクチャーはフランス史そのものである。
メゾンの誕生は1680年に、織物職人ルイ・ペルノンが創業したアトリエ。啓蒙時代には王侯貴族が顧客となり、宮殿や城を華麗に彩る家具の生地に使われた。ヴェルサイユ宮殿はその代表例。フランスの威光が国境を越えてとどろくと、海外でもメイド・イン・フランスの品が購買欲をかき立てる。当時の常連には好色男カサノヴァやロシアのエカチェリーナ2世らの名が。
複雑な文様を織り込めるジャカール機の発明は、絹織物文化の隆盛をさらに後押し。王政が倒された後もナポレオンの庇護(ひご)のもとで繁栄は続く。時代の主役は変わっても、絹織物は生き続けるのだった。エジプト遠征から戻ったナポレオンは、革命で荒れた城や宮殿を直すために布地を大量注文し、この時にシンプルで力強い「帝政様式」が誕生した。
そして帝政も過ぎ去ると顧客も変わる。19世紀はロスチャイルドら大銀行家、20世紀に入ると一流デザイナーに。この間アール・デコやアール・ヌーヴォー様式も生まれ布地のモチーフに生かされたが、「当時は戦争のせいで余裕がなく、布地のデザインとしてはあまり広まらなかった」とジャン=リュックさん。だが実際にアール・ヌーヴォー様式のバラの布地を見せてもらうと、実に小粋でエレガント。自宅のぼろカーテンを思い出し、ちょっと切なくなる。
史料保存部門のキャロルさんは、「3世紀にまたがる10万以上の古文書を保管してあるので、あらゆる時代のモチーフも再生可能」と胸をはる。現代も、百年前のベル・エポックのバラを布地に華麗に咲かせることができるというわけだ。富豪になった暁には、ぜひ注文させていただこう。(瑞)
ヴェルサイユ宮殿の ルイ14世の部屋の絹織物。
布地のストックも膨大。
アール・ヌーヴォー様式(左)と帝政様式(右)。
手織り職人は国内で10人ほどしかいない。