『パリの胃袋』を生んだパヴィヨン・バルタール。
パヴィヨン・バルタールは1982年に歴史的建造物に指定された。
54m×42mのこの棟では野菜や果物が売られた。当時は12棟ものパヴィヨンが並んでいた。光がたっぷり入る構造なので、曇りの日でも驚くほど建物内が明るい。
1852年から1870年にヴィクトル・バルタールによって建設された鉄とガラスの巨大なパヴィヨンは、ナポレオン3世や当時のパリっ子を驚かせ、熱狂させた。1858年、18歳の時にエクス・アン・プロヴァンスからパリに上京したゾラもそのひとり。光がさんさんと差し込む現代的な中央市場を舞台に、当時の世相を反映させた『パリの胃袋』を著した。約100年パリ市民に愛されたこの建物だが、充分な量の食料を供給できなくなってしまったことを理由に、1970年に郊外のランジスに移転・拡大された。パリ市民に愛されていたパヴィヨンは反対の声もむなしく破壊されることになってしまったが、そのうちの1
棟が、パリの東、ノジャン・シュル・マルヌに転移され当時のままに残っている。昔、野菜や果物(卵、鶏との説も)が中心に売られていたこの棟。現在は劇場
や各種イベント、展覧会の会場として利用されている。
私の父は野菜や果物を手押し車に積み、パリ各地のマルシェに届けていたのよ!
ヴァンヴののみの市で昔の新聞やポストカードなどを売っているフランスさんは、モントルグイユ通りで少女時代を過ごした。パリのレアールは絶好の遊び場だったそう。
「当
時は誰でもパヴィヨンの中に入ることができたの。友だちと一緒に陳列台から落ちたフルーツを拾ったり、肉切り職人の真っ赤に染まったエプロンに目を丸くし
たり……。レアールで働くたくましい男たちは「Les Forts des
Halles」(レアールの力持ち)と言われていて、近くのビストロで朝から赤ワインや白ワインを豪快に飲んでいました。あそこでは皆よく大きな声で話
し、活気があって、知らない者同士でもすぐに打ち解けるような独特な雰囲気があったものです」
中央市場を見守っていたサントゥスターシュ教会は今でもこの地に優美な姿を見せている。