プルーストは引っ越しが多かった
1871年7月10日
パリ16区(当時はパリ郊外オートゥイユ)のラフォンテーヌ通り96番地に生まれる。父は医学博士。母は裕福な株式仲買人の娘だった。
1873年(2歳)~1900年(29歳)
パリ8区マルゼルブ大通り9番地に引っ越す。『失われた時を求めて』の語り手は、天気がいい日にはここから歩いてすぐのシャンゼリゼに遊びに行った。 コンコルド広場に近いところにプルーストにちなんだ小道がある。
1877年(6歳)~1880年(9歳)
復活祭の休暇は、父方の叔母、エリザベート・アミヨの住むイリエで過ごす。
1900年(29歳)~1906年(35歳)
パリ8区、クールセル通り45番地に引っ越す。ジョン・ラスキンについての研究・翻訳に打ち込む。
1906年(35歳)~1919年(48歳)
パリ8区オスマン大通り102番地へ引っ越す。『失われた時を求めて』の執筆を始める。
1913年(42歳)
『失われた時を求めて』第一篇『スワン家の方へ』発売。
1919年(48歳)~1922年(51歳)
パリ16区アムラン通り44番地へ引っ越す。
1919(48歳)
『失われた時を求めて』第二篇『花咲く乙女たちのかげに』でゴンクール賞を受賞。
1922年11月18日(51歳)
アムラン通りの自宅にて永眠。ペール・ラシェーズにて11月22日埋葬。