2003年6月、少女誘拐未遂容疑(549号参照04/8/1)でベルギーに拘留されたミシェル・フルニレ(当時62歳)は1982-84年に犯した15件の婦女暴行罪で禁固7年刑を受け、減刑措置により1987年10月に出所。服役中、三行広告で知り合ったモニック・オリヴィエと結婚。出獄2カ月後に17歳のイザベルさんを誘拐絞殺。この事件から、2003年ベルギーでの12歳の少女への性犯罪未遂まで16年間に強姦殺害容疑7件、強姦未遂容疑3件。そのうち5件は妻モニック(56)の共犯容疑で、2人の裁判がアルデンヌ県重罪裁で3月27日から34日間続いた。5月28日、男女9人の陪審員は、フルニレ被告に短縮不可能の終身刑、共犯者オリヴィエ被告に恩典不適用期間28年付の終身刑を下した。
しかし、2人の被告による猟奇的連続誘拐殺害事件が16年も続いた背景に当局関係者の怠慢さが浮上。最初の殺害被害者イザベルさん行方不明後、父親の証言によれば、憲兵隊は「路上でひき殺された犬のように」調査もせず1週間後に捜索を打ち切る。この時10キロ先に住んでいたフルニレ夫婦には調査の手は及ばなかった。1990年フルニレが獄中仲間の元強盗犯Hの隠し金を探し出し、その金で城を購入した件の取り調べで、警察は彼の性犯罪関係記録は皆無とし追徴金だけで彼を釈放した(Hは同被告による妻ファチマの殺害を告発)。2006年に城の庭から被害者2人の白骨死体を発見しており、憲兵隊と警察の連絡不足と怠慢さのなかで、その後も何人かの誘拐殺害事件が続いたことを被害者家族・遺族側弁護士陣は糾弾する。
少年期のトラウマ「処女願望充足欲」を満たすため女子強姦殺害を続けたフルニレに盲目的に服従した一見平凡な主婦モニック。被害者の口をガムテープでふさぎ、頭にビニール袋を被せて彼が強姦絞殺するのに立ち合いながら彼女は倒錯的欲望を満たしていたという。
5年間この事件に関ってきたナクバール検事は最終論告で2人の被告を「陰湿な怪獣」「ねばつく巨大なクモ」「死姦を好む獣」「狂人」と、客観性を第一とする検事としては異例の矯激な言葉で怒りを吐露している。同時にそれは被害者家族、社会へのエクソシスト的効果をもつとも見られている。官選弁護人でありながらフルニレに弁護を拒否され無言で法廷に列したブロコ弁護士は、「しかしながらフルニレは人類の一員です。彼が怪獣だとしたら裁判は開かれなかった…弁護なしの裁判はありえない」と、フランスでも稀なシリアルキラーの弁護の機会を与えられなかった苦渋を述べている。
が、 被告2人には、オクセール市で1988年行方不明となった女性(19)と、1990年絞殺死体で発見された英国人女性(20)の殺害容疑がかかっており新たな裁判が控えているのだ。(君)