心にストレートに響く歌詞、覚えやすいメロディー、弾むようなリズム感で、30年間近くひたすらロックし続けてきたカトリーヌ・ランジェとフレッド・シシャンからなる〈リタ・ミツコ〉。新アルバムのツアー中、オランピア劇場での公演当日の11月28日朝、フレッドがガンで亡くなった。53歳。 フレデリック・シシャンは1954年、パリ郊外のクリシー市で生まれる。両親はイタリア人で共産党員だった。10歳過ぎからビートルズやローリング・ストーンズに狂い、16歳の時にレコードでジミー・ヘンドリックスを聴いて開眼、ミュージシャンになる決心をする。70年代には、いくつかのグループを結成するかたわら、アムステルダム、ロンドンなどヨーロッパ各地を転々とする。1979年の春、音楽および生活上のパートナーとなるカトリーヌ・ランジェと運命的な出会い。たちまち二人は意気投合し、さまざまな音楽活動を試みた後、最終的に〈リタ・ミツコ〉という名前のデュオとして定着。 最初のヒットはシングル盤で100万枚以上売った1985年の『Marcia Baila』。彼らの友人で、32歳で亡くなったアルゼンチンのダンサー、マルシア・モレットに捧げられた曲だ。翌年、『Andy』や『C’est comme ça』といった名曲を含むアルバム『The No Comprendo』を発表し、押しも押されもせぬスターに。モンディーノ作のユニークなビデオクリップもテレビに繰り返し繰り返し流された。90年代は少々フレンチポップスの時流からそれ、また最近は、フレッドの闘病生活などで活動が鈍っていたが、今春、新アルバム『Variety』を出してフェニックスのごとくカムバック。ボクらファンを喜ばせた矢先の死だった。 「死があなたを暗殺した、マルシア。死があなたを燃え尽くした、マルシア。あなたは脇の下にガンを抱えてしまった。今はもう灰。死はどうにもできないもののようだ。ロケットのように力強く、人生そのものであったようなあなたでも」(真) |