「アジア映画は元気」そりゃそうだが… ドーヴィル・アジア映画祭

 3月1日から4日までドーヴィル・アジア映画祭が開催された。グランプリと観客賞w受賞は、韓国の『J.S.A』。女優賞を獲得したYu Nan主演『Eclipse de Lune』(中国)や香港版マゴギャルの無軌道な日常に迫る『Spacked Out』(香港)など、構成や撮影に凝った作品も光った。
 特に対照的な映画産業の環境下に身をおく二人の監督に話を聞いてみた。まずは世界的に躍進が続く韓国。日本ではすでに『The Quiet Family』が公開済み、本映画祭では銀行員がプロレスに目覚めるコメディ『The Foul King』を出品したキム・ジウン監督から。
 「目下韓国では映画祭、映画学校も増え映画産業は拡大中。96年頃から映画館の数も増え、外国映画も併せ多種多様な映画が観られるから観客の趣味が広がった。短篇だけで年間300本も製作。他の国に比べかなり恵まれていると思う」
 一方ヴェールに包まれた感のあるのがシンガポール。バイク&白昼夢好きな若者の青春スケッチ『Eating Air』を出品したKelvin Tong Weng-Kian監督は語る。
 「多くは医者か弁護士を目指す国。文化的なことに興味がなく、映画といったらハリウッド。2年前からようやく年間一本ずつ自国の映画製作が開始した。国の援助は名ばかりでまだ機能していない。私も映画を撮るため大変苦労した」
 さて個人的な感想を言えば、本映画祭は「アジア映画は元気、素晴らしい」と一緒くたにして誉めるばかりで、優雅に構えすぎの印象が強い。韓国のような国は例外で、国の理解が得られぬシンガポール、年間映画製作数が200本から10本程に激減したタイや台湾など、国際映画祭という場で現状を訴えたい作家も多いはずなのに、質疑応答など公のディスカッションの場が全くないのは残念。プログラムは興味深いし、単に映画の見本市に甘んじるには惜しい。今後アジア映画にとことん付き合う姿勢を見せるのか、若き3年目の映画祭の未来に注目。(瑞)
*日本の辻仁成監督は『Hotoke』で映像賞受賞。
●On appelle ca le printemps
 幼い娘と夫を後に残し家出したジョスと、同棲相手に追い出されたファンファンは、マニュのアパートに転がり込む。ところがマニュの浮気が夫にばれて、行き場を失った仲良し三人娘は、レストランで出会った金持ちの男の家に居候を決め込む。つかの間とはいえども自由な生活を楽しみながら三人はそれぞれの男への復讐プランを練る…。
 68年運動の一枚の写真に映っている人物の行方を追ったドキュメンタリー “La Reprise” とはがらっと雰囲気を変え、エルヴェ・ル・ルーのこの新作は、茶目っ気といたずらでいっぱいの春らしい軽喜劇になっている。娘に会いたいジョスの願いを叶えるために三人が仕組む誘拐プラン、マニュの夫のアパートに仕掛けられたいたずら、金持ちの家からの脱出などのシーンは、アメリカのアニメや喜劇映画、ジャック・タチの作品を彷彿させるが、ル・ルーの手にかかるとワンテンポずれた不思議な個性が加わり、男はともあれ女たちが自由奔放で元気に動き回る。見た後にこっちまでスキップしたくなるような…そんな作品。

● Nuage de Mai
 配達されたばかりの郵便物を持って若い男がカフェのテラスに腰を下ろす。主人にコーヒーを頼みながら「大学の入学試験の結果が届いた」と言うと、当然ながら主人は結果を知りたがる。すると男は「まずコーヒーを飲んでから」とゆったり答える…。トルコ人監督ニュリ・ビルジュ・セイランのこの作品 (去年のベルリン映画祭でヨーロッパ批評家賞を獲得) では、すべてがこのようにゆったりと流れていく。もう一人の登場人物である映画監督は、若い男と同じ村に住む両親を訪ねる。そこで新作の案を練るうちに両親を出演させることを思いつく。両親は息子のすることは「お金になったためしがないがまあいいだろう」と参加を承諾する。試験に落ち撮影アシスタントになった冒頭の若い男は、「田舎は退屈だからイスタンブールに出て働きたい」と監督に相談するが、「何もしなくても生きていける田舎での生活は素晴らしいじゃないか」と説得される。今は亡きギュネイ監督の作品には、自分の運命を呪う人々の悲痛な叫びが隠されていた。セイラン監督は日常の煩雑を忘れぼんやりと空を流れる雲や風になびく草や木を見つめ直すことの大切さを教えてくれる。時代が変わった、ということだろうか。(海)