反乱兵は裏切り者 ?

 今年の11月11日は第一次世界大戦(1914 -18)休戦80周年。その記念式典を待たずに、11月5日ジョスパン首相は北部のエーヌ県クラオンヌ村を訪れた。
 1917年4月、血みどろの泥沼にはまり込んだ西部戦線、ニヴェル司令官指揮による大塹壕作戦は、同村を含む Chemin des Dames地域で数十万の死者を出した。この無謀な作戦の中でむだな”肉弾”になることを拒否した反乱兵約1100人のうち49人が、ペタン総司令官(のちの元帥)の指令で”見せしめ”のために銃殺された。
 ジョスパン首相は「彼らを国民の記憶に復帰させよう!」と、反乱兵士の名誉回復の意思を表明した。首相単独のこのイニシアチブはシラク大統領にとって寝耳に水。まして反乱兵の銃殺に言及することは、大統領の管轄である軍部を槍玉にあげること。翌日大統領は、首相の反乱兵士復権の言明は「時宜を得ないもの」と、批判的な公式声明を発表した。
 しかしジョスパン首相が、80年間隠蔽されてきた第一次大戦の”恥部”を国民に見極めさせたことは、1995年にシラク大統領が、戦後初めてヴィシー政府をフランス国家として認め、ナチスへの協力を国家の責任とし、フランス史に”真実”の一頁を加えたのにひとしい。が、反乱兵士を復権させることは”修正主義”と、強く反発するのはセガンRPR (共和国連合)総裁。彼は第二次大戦で父親を亡くしており、反乱兵士の問題を口にすること自体”戦没者への冒涜”ととらえる。一方ジョスパンの父親は、大戦勃発時に第二インターで平和主義を唱えた社会主義者。両者の史観の違いは、反乱兵の銃殺を国民の戦争体験の一部と見なすか、彼らを裏切り者として永遠に封じるかの対立といえる。
 この問題で英国政府は、同記念日に、同じ理由で銃殺された英国反乱兵360人を復権させた。伊政府も仏首相の提案を支持。
 また、もうひとつ無視できないのは、フランスの軍隊が当時の仏領植民地から数十万人におよぶ原住民を徴募したことだ。たとえばセネガルだけでも仏国籍の取得と引き換えに、18万人が狙撃兵として最前線に送られ、そのうちの2万5千人が戦死している。激戦地ヴェルダンの最後のセネガル人生存者ヌディアエ氏は104歳。11月11日にレジオン・ドヌールが授与されるはずだったが、前日に亡くなった。彼は生前中、旧植民地傷痍軍人として、3カ月毎に恩給750LW](植民地独立以来、額を凍結)をフランスから受けていた。
 今日ハンガーストライキを繰り返すアフリカ人不法滞在者の中には、軍服姿の祖父の写真を掲げる者もいる。フランスの現在を映す鏡の裏に、彼ら遺族の過去が生き続けているのである。

(君)


    第一次大戦主要参戦国の召集兵数(戦死者)
    4257万人 (520万人)連合軍総数
    1200万人 (170万人) 旧ロシア
    840万人 (136万人) フランス
    890万人 (90万人) イギリス
    560万人 (65万人) イタリア
    473万人 (12万人) 米国
    2285万人 (339万人)同盟軍総数
    1100万人 (177万人) ドイツ
    780万人 (120万人) オーストリア/ハンガリー
    285万人 (33万人) トルコ
    120万人 (9万人) ブルガリア

 


 

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