タマラさんとクラウディオさんは、モスクワで学生結婚し、論文を書くためにパリへやってきた。二人がパリに住みついた1970年初頭は、68年の5月革命の名残りで、学生たちには自由でコスモポリタンな雰囲気が漂っていたという。数年後、タマラさんは高校でロシア語とロシア史を教えるポストを見つけ教職へと進み、現在は東洋語学校で教鞭をとる。一方、クラウディオさんは、論文を書き上げ、現在は国立科学研究センターでロシア史を研究している。
二人ともフランスの18世紀が現在のフランスを築き上げた、と考える。「1789年の革命以来、フランス人たちはすべてを “戦うことにより” 勝ち得てきた。昔の栄光にしがみついている部分もあるけれど、現在ある文化や思想はこの時代に完成した」
このようにフランスを愛する二人だが、不満だってある。「フランスは子供に語学や数学などの学習を詰め込みすぎて、音楽、美術などの情操教育が軽視されがちだ。国の豊かさが違うからかもしれないけれど、アルゼンチンでは、子供の年齢にあった教育をしている」とクラウディオさん。彼を受けてタマラさんは「フランスを愛することで、私たちもフランス人のように不平をもらすことを覚えてしまった」と笑う。
いくらフランスで家庭と生活の基盤を築いたといっても、タマラさんはフランスに根を下ろしたとは思っていない。「私たちの子供は、植物でいうと双葉のようなもの。孫が生まれるころにやっと私たちの根が生えていくのではないかしら」 (海)