Un aller retour pour… パリから一泊、汽車の旅

3・17・19世紀の水道橋と、サティの住んだ小さな家。
Arcueil-Cachan アルクイユ・カシャン
 RER・B線で、南へパリを出てすぐのアルクイユ・カシャンから、はるか東の高台へと連なる巨大なアーチ橋がある。ガリア・ローマ時代に始まり、今も使われている水道橋です。         
 現在の橋のすぐ南には、ランジスの水源から、今クリュニー美術館に残る大浴場へと水を送った、ガリア・ローマ時代の橋があった。
 駅を出て橋の北側の坂道を下ります。途中からアーチが2層になる。下段は17世紀初め、やはりランジスからリュクサンブール庭園のメディシスの泉へ水を送った「マリー・ド・メディシスの水道橋」です。端の円い石屋根の小屋は水の監視所。
 ビエーヴル川の谷間を渡るこの橋は、幅6.2メートル。長さが約4キロもある。谷底部の高さはメディシスの橋が17メートル、その上に造られた19世紀後半の橋は11メートル。
 19世紀の水道は、今もセーヌの支流のまた支流ヴァンヌ川の水を、モンスリ浄水場へ送っています。
かつてビエーヴルが流れていたあたり、橋の南の古い家はメディシスの橋を造った石工の親方ヨアン・コワンの家。ここから東の丘に上ってみる。アーチの向こうにパリが見えます。古い作業場、ブドウ棚のある小さな庭の家。このあたりの情景はまるで、かつてのベルヴィルやメニルモンタンの写真のようです。
 橋の北側、古い家と四角いアパートが混在するアルクイユの窪地は、歩きよいとはいい難い街並み。旧市役所を右へ、コーシー通りが二つに分かれる角の建物が、エリック・サティのいた家です。彼は1898年から死ぬ1925年まで、この「4本煙突」と呼ばれるくたびれた建物の、トイレもない部屋で暮らしていた。
 この偏屈な天才は、フロック・コートに山高帽、雨傘という、後のチャップリンみたいなスタイルで、当時走っていたシャトレ行きの路面電車に乗り、都心へ通ったという。
 駅近くの墓地の片隅に、サティらしい質素な墓があります。  (稲)

 

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