「暖炉がある限り この仕事を続けます 」
さまざまな小説や物語に登場する煙突掃除夫。その多くは社会の実態を物語のなかで問いかけたものだ。例えば作家リザ・テツナーによる『黒い兄弟』。小さな村から大都市に売られた子供たちが煙突掃除夫としてたくましく生きる話だ。産業革命で豊かになる都市とは裏腹の貧困や人身売買などが描かれており、社会が長らく子供の雇用を諾意(だくい)していたという実態が見てとれる。
「煙突掃除夫といえば、昔はノマッド、一種の遍歴職人だった。ひと昔前は本当に、子供たちが煙突の中に入って掃除をしていたんですよ」と語るエロワンさん。 20年来、煙突掃除夫Ramoneur をしている彼は、高校卒業後、父の仕事の跡を継いだ。近年は人権問題などから子供に煤(すす)掃除をさせるなどということはなくなったが、労働基準法が成立する以前、煙突掃除は法の外にいる人間=ノマッドがする仕事だったのだ。そう、貧村の子供たちは「法の外」という存在だった。「今でこそ僕ら家族は定住していますが、父親は出稼ぎ同様、色々な土地で仕事をしたものです」。
この仕事、子供でなくとも煤(すす)が原因の病気に侵される危険がある。それが陰のう部にできる皮膚癌だ。煙突掃除に従事する人に「陰のう癌」が多いことから、単なる職業病ではなく、炭素化合物による労災として認められ、煙突掃除夫を保護する条例が18世紀にできる。化石燃料である石炭を使用する場合の煙突掃除は薪よりもタチが悪いそうだ。エロワンさんがこの仕事を始めた頃はすでに大型の掃除機や、原始的ではあるが8メートルまで伸ばすことができる掃除器具のおかげで煤を全身に浴びるようなことはなかったという。家によって暖炉の構造は異なる。まず依頼宅の煙突内の状況、煙突の構造を確認。煤が部屋にまき散らないように布のカバーで暖炉を覆い、少しずつブラシを入れていく。途中金属製の鏡で内部の状況を確認。丸いブラシから四角いブラシに替える。その間、業務用掃除機が細かい煤を吸い込む。20分くらいしたところで「外から煙突を見てごらん」との一言。ブラシが煙突から出ている。ゆっくりとブラシを抜き取る。石ころのようになった煤のかたまりなどを、あらかじめ敷いておいた布に落とし入れ、最終的に暖炉内の掃除となる。この掃除をすることによって大気汚染が軽減され、なにより暖炉の火の勢いが断然変わる。
一番の繁忙期は何と言っても11月から春にかけて。この時期は1日に何軒も掛けもちする。
「夏はもっぱら営業活動。早めに暖炉の準備をする家庭は秋には掃除が終わっています。チラシを持って各家に早め早めの掃除を促しますが、みなさん冬が到来してから仕事を依頼しますね。」
1軒につき平均30分程度を朝8時30分から夕方まで行う。「幸い自営業なので、冬の稼ぎ時を除いて一年のスケジュールを自分で調整できる点ではこの仕事に満足しています」。パリ市内の煙突掃除会社では、法の規制や暖炉使用者の減少のため、煙突掃除だけではなく、ボイラーの掃除と定期的管理、その他暖房に関する複合的な業務を行うことによって、生き残りにかけている。
ところで、煙突掃除博物館なるものがスイスはソニョーノ村にあるそうだ。前述の小説 『黒い兄弟』の少年ジョルジュが住んでいた村。今でこそ様々な暖房設備があるものの、冬の生活に欠かせなかった暖炉=煙突掃除をとりまく人間の生きてきた歴史が、この仕事から垣間見れる。
エネルギー問題とは切り離すことができない暖房方法。植民地が次々と独立を果たす1960年〜62年ころから、大都市周辺に安価で簡素な住宅建材によるシテ(集合住宅)の建設が始まった。これらのシテでは電気暖房が主に使われたが、断熱システムは二の次とされたため、暖めても暖めても電気暖房の熱は逃げるばかり。時を経て70年代終わり、初めて環境問題を掲げたデモがフランスで起こった。エネルギー移行を掲げる政府は、今後、どのような解決策を提案してくれるのだろう。今後わたしたちの暖房はどのような変容を遂げるのか、この時期まさに一人一人が考えるべき問題である。エロワンさんと、そんな話をしていると、「暖炉がある限り、僕はこの仕事を続けます」と、潔い言葉が返ってきた。