
細菌学者とおいしいお酒
予防接種を受けにパリのパスツール研究所へ行ったとき、研究所の創設者ルイ・パスツールの記念館が敷地内にあるというので行ってみた。パスツール一家が暮らしていたアパルトマンと研究室が再現され、地下には博士の墓もあるのだが、その壮麗なモザイク装飾に驚いた。狂犬病、ニワトリコレラや炭疽(たんそ)病などのワクチンを開発したり、蚕の病因を究明するなど、農業、産業に貢献し、多くの人命を救った「人類の恩人」にふさわしい偉人廟だった。
博士の実家をフランス東部ジュラ県のアルボワに訪ねると、こちらにも研究室がある。家のなかで最も広く明るい一室で、家に水道はないのだが、この部屋にだけは引いてある。 »バカンス中の仕事場 »は博士の小さな寝室のとなりにあって、夜中に目を覚ますとここで過ごしたという。
ナポレオン3世の依頼でワインの酸化について研究し、低温殺菌(pasteurisation)を開発した後も、博士は近くの村にブドウ畑を買い、地元のワイン生産者たちの協力のもとブドウの病気や発酵の研究を続けた。その畑に行ってみると、バラが咲き、鈴虫たちが鳴いていた。青空の下の研究室(畑)を訪れた後、口にふくんだジュラの地酒はまた格別の味がした。(六)

狂犬病とパスツール研究所。

9歳のジョゼフ・マイスター少年は、パン屋を営む父親のためにブラッスリーへ酵母を買いに行く途中、犬に噛まれた。少年の母親はパスツール博士の噂を耳にし、当時ドイツ領だったアルザス地方から息子を連れてパリへ。病院をまわった末に高等師範学校で博士に会い、接種を依頼する。
パスツール博士は8年ほど実験を重ねてきたが医師ではないから人間の接種はできない。しかし医師と相談の末、狂犬病にかかったウサギの脊髄を弱毒化したものを10日間、14回接種することに。回を重ねるごとに毒素の強いものを接種してゆく。接種の成功が報じられると、注射をしてもらおうと人々が研究室に殺到した。アメリカ、ロシアからもやってきた。こうして世界から寄付金が集まり、パスツール研究所が創設されることになった。
この少年については後日談がある。大人になってパスツール研究所の守衛となるのだ。博士は1895年に亡くなっていたが、第二次世界大戦で1940年にドイツ軍がパリに侵攻した際、マイスターは独兵士たちが研究所に入るのを阻止しようとした。博士は1870年の普仏戦争でフランスが負けた時ドイツ嫌いになったというから(それでフランス産のうまいビールを造る!と奮起したとも)、頑張って研究所を守っただろう。マイスターはしかし家族が疎開途中で爆撃の犠牲になったと知り自殺する。
彼のインタビューの録音が残っていて「犬に噛まれパスツール博士に会おうと病院をまわったが、医師たちは博士の居場所を教えようとしなかった。博士は医学界には敵が多かった」と言っている。化学者だったパスツールが、医師たちに手術器具の消毒や手洗いなど衛生を説き、ワクチン開発をするのを医師たちは快くみていなかったのだそうだ。今日では世界32ヵ国に研究所があり。ノーベル賞受賞者も10人以上輩出するなど、いうまでもなく世界最高峰の研究機関のひとつとなっている。

パリのパスツール博物館(2028年11月まで工事のため閉館)
パリ高等師範学校の教授時代、同校に30年間暮らしたパスツールだが、パスツール研究所ができると所内のアパルトマンに移り、亡くなるまでの7年間を過ごした。博士の孫が1935年に祖父母の所持品、約9千点を科学アカデミーに寄贈。1936年パスツール博物館としてオープンした。
◉ Musée Pasteur Paris:
25 rue du Dr Roux 75015 Paris
www.pasteur.fr/fr/institut-pasteur/musee-pasteur

Dole ドールにある、パスツールの生家へ。

ルイ・パスツールは1822年、フランス東部ジュラ県のドールで生まれた。父方の祖先は17〜18世紀は同県ルミュイ村の粉挽き、母方の実家も同県マルノ村と、ジュラに根を張った一族の末裔だ。ルイの父親ジャン=ジョゼフはナポレオンの軍隊を離れた後1816年、ドールに皮なめしの作業所と店を構えた。運河沿いに10軒ほど同業者が集まった一角で、建物は運河に接し、その水に動物の皮を浸して洗浄した。今も建物の地下に保存された作業場を見ることができる。革の乾燥は最上階、最終加工は一階。ルイが生まれたのも一階の部屋だった。

ドールの家の階下には、皮なめしの作業所が今でも保存されている。通り沿いの壁には、パスツールの生家であることを示すプレートがある。博士は1883年、61歳でこのプレートの除幕式に参加し、「父よ、母よ、今は亡き私の愛する人たち、すべてはこの小さな家で、つつましく暮らしたあなた方のおかげです…..」と重労働に携わりながら自分を育ててくれた親を讃えたという。
博物館内にはパスツールの代表的な実験の数々がジオラマとともに紹介されている。 パスツールの記念切手、勲章、パスツールの名を冠したカマンベールチーズ、ヘアローション、テレホンカードまでが展示されている。


◉ Maison natale de Louis Pasteur :
43 rue Pasteur 39100 Dole
Tél : 03.8472.2061
www.terredelouispasteur.fr
2/7から11/1は毎日開館。
・5〜9月は9h30-12h30/14h-18h(2〜4月と10月は14h-18h)。
ドール駅からは徒歩15分〜20分。
▶︎ パリからの行き方
パリLyon駅からDoleまではTGVで2h10。
Arboisへはローカル線で移動。
www.sncf-connect.com

プイイ・ル・フォールでの公開実験。1881年獣医学の権威ロッシニオールが公開実験を行うことをパスツールに提案。農場でグループ①24頭の羊、一頭の山羊、数頭の牛にワクチンを接種。グループ②は家畜は①と同数だがワクチンを接種しない。一定期間が経ったら、全頭に毒力の強い炭疽病菌を注射する。ワクチンを接種していた群れは炭疽病から守られ、接種されていないほうは死に、ワクチンの効果を証明し多くの家畜の命を救うことに。

Arbois : アルボワの実家/バカンス(と研究)の家。

パスツール家はルイが7歳の時アルボワに引っ越してきた。やはり父親の仕事のための川沿いの家。ルイは特に勉強ができる子ではなかったがパステル画に秀で、20歳くらいまでに家族やアルボワの市長や金物屋など、町の人々の肖像画を描いた。じっくりと観察し丁寧に描きこんだ肖像画は40点ほど今に残っており、パリ、ドール、アルボワで見ることができる。アルボワの中学校、ブザンソン王立中学校からパリ高等師範学校へ進学。

1849年代行教員としてストラスブール大学に迎えられ、そこで出会った大学学区長の娘マリー5ヵ月後に結婚、5人の子どもに恵まれる。妻マリーは実験を手伝い、共に旅をし、夫の口述した研究内容をメモした。ルイは46歳で脳卒中を患い半身麻痺となるが、マリーは常にルイをサポートした。
ルイは、毎年この家に帰り、バカンスを家族と過ごした。好みの壁紙、家具、置物でブルジョワ階級らしい家に改造し、家の脇を流れる川の名にちなんで、《キュイザンスの城 》と呼んだ。サロン、ビリヤード室、料理は地下の厨房からエレベーターで上階の食堂へ。上階にも応接室、子ども部屋は晩年は孫たちの部屋に。寝室は、当時ブルジョワ層に多かったという夫婦別室。博士の寝室の壁を隔てた研究室には、ガスを引いて微生物の培養室も作った。現存するパスツールの研究室のなかでも、最も保存状態がいいのだというなのだそうだ。





◉Maison et le laboratoire de Louis Pasteur
83 rue de Courcelles 39600 Arbois
Tél : 03.8466.1172
www.terredelouispasteur.fr/la-maison-de-louis-pasteur-a-arbois/
アルボワ駅からは一本道を歩いて15分ほど。
Montigny-les-Arsures : 博士のブドウ畑 Le Clos de Rosières

ナポレオン3世が1860年、英ヴィクトリア女王と通商条約を締結するとフランスワインは英国のワイン市場獲得の好機を得る。ところがワインは運搬中に酸っぱくなるという問題があった。皇帝は、「乳酸発酵に関する報告」という論文を発表していたリール大学の学長パスツールに研究を依頼する。
博士はアルボワのブドウ畑に足を運んだり、異なるワインを顕微鏡で観察。そこから、ブドウ果汁がワインになるのと、酢になるのは異なる微生物の働きであることをつきとめ、55℃〜60℃で殺菌すればワインの劣化を避けられるとし、1865年には特許をとった。この低温殺菌は、パスツールPasteur の名をとって pasteurisationと命名された。今はワインには使われないが、ビールや乳製品には適用されている。食品産業を大きく変える発見だった。
また、1878年7月には、パスツールの「微生物原因説*」に懐疑的な化学者の記事が科学誌に掲載されたため、博士は近くの村に実験のためのブドウ畑を買う。ガラスの小さな温室でブドウの果実が形成されるや、いっぽうのブドウは消毒したガーゼで房を包み、もう片方は包まないで実が大きくなるのを待つ。収穫、搾汁した後、ガーゼで包んであったブドウ汁は発酵せず、包まなかったブドウの汁は発酵した。空気中にただよう酵母がぶどうに付着して発酵をおこすのであって、ブドウの中から自然に発酵成分が出てくるものではないと、 「自然発生説」を覆したのだった。

ドールの博物館の展示から。
アルボワから車で3分ほど。ロジエールの畑はパスツールの家と同じく科学アカデミーが所有し、管理はワイナリー、アンリ・メール社に委託されている。10年前から農業研究機関「仏国立農業・食料・環境研究所(INRAE)」 がブドウの病気の研究を行うため、40haの南向きの畑に、シャルドネ(白)、地元品種のトルソー(赤)とサヴァニャン(白)など約3千株を植えた。その資金集めのため、この畑のブドウで作られたワイン150本が科学アカデミーのカーヴからオークションにかけられた。一体どんな味なのだろう。

続編では、アルボワの町のおたのしみについて。
