鳩と人間の関係は、想像を超えるもの。
フィリップ・クレスパンさん
「6時にトゥールで放鳩」と地元ラジオが報じる。パ・ド・カレー県、アルワーニュ村にあるフィリップ・クレスパンさんの鳩舎までは、トゥールから400kmの距離。平均時速70kmで飛べば、10羽の鳩は昼ごろ帰舎するはずだ。だからクレスパンさんは昼前には用事を済ませ、鳩舎のある庭のテーブルで鳩たちの帰りを待つ。草原の向こうに、かつてクレスパン家の男たちが働いた炭鉱のボタ山が見える。空では飛行機やハゲタカ、ツバメたちが飛び交い賑やかだ。40度もありそうな暑さのこの日、鳩も喉が渇くから水を探して寄り道するだろうし、タカに襲撃されるかもしれない。途中で豪雨なんてこともある。気を揉みながら、時計を見たり空を見上げたり。花咲く庭で吠えない老犬とひたすら帰りを待つのである…。
父親は転勤が多く、鳩好きの祖父と祖母に育てられ、生活は鳩のリズムで刻まれていた。炭鉱の電気技師だった時代に鳩を始めた祖父は時間があれば鳩舎にいたし、競翔から鳩が帰らないとご飯が始められず祖母は不機嫌になった。鳩を待つ時は鳩が怖がらないよう家の中でも小声で話し、鳩舎のある庭では野菜の水切りも静かにやらされた。「趣味なんていうレベルでは語れません。鳩は家族でもなく妻でもない。でも一種の三角関係になって結婚生活を脅かすことも」。
庭付きの一軒家が並ぶこの村。お向かいの家も鳩を飼い、もう一軒はレースに参加する。「レース」というと記録ばかりが重視される感があるが「上位に入れば、それは嬉しいけれど」無事に帰還してくれるのが何よりのようだ。鳩舎では50羽を飼う。「100羽くらい飼う人もいますが、鳩たちのコンディションを一羽一羽把握するには50羽くらいがちょうど」。両手で鳩を包むようにして持つと、筋肉、緊張の度合いなどが感じられ、さらに羽、地肌、目の色とツヤ、フンの形状などで鳩の体調がわかるという。週日は農機具店で働き、村議会のメンバーとして文化イベントなども担当するクレスパンさん。第一次大戦終戦から100年の昨年は、軍鳩についての展覧会を催し、地域の学校の子どもたちを案内。多くの人と鳩が命を落とした歴史(*右ページ)を説明し、戦争を繰り返さないようメッセージを伝えた。
パタパタパタ…!羽音とともに鳩舎の屋根に1羽停まった。鳩舎に駆け込むクレスパンさん。「よくやった、おかえり!」完翔のねぎらいの言葉をかけるのが聞こえる。帰舎こそ鳩レースをやる人々が心待ちにする瞬間だ。鳩舎の入口に鳩が停まるとその時間が機械に記録される。その機械を協会に持参し記録を報告するのだが、その前に9羽の帰りを待たねばならない…。
クレスパンさんの家には、キッチンから居間、書斎、屋根裏、地下収蔵庫まで数え切れないほどの愛鳩グッズが詰まっている。特に鳩レースのタイマーconstateurは、世界の80以上のブランドのものが600個ほど。1890年頃から技術が発達したというタイマーは、木の箱に繊細なメカニスムを備えた骨董時計のようなもの。スイスの骨董時計研究者から問い合わせがあったり専門誌に寄稿もする。愛鳩文化のかつての盛況ぶりを証言する豊かなコレクションだが、「蒐集が目的ではありません。大切なのは愛鳩文化が何であるかを次世代や鳩文化を知らない人々に伝えること」。コレクションはサイトで見ることができ、見学することも可能(要予約)。博物館を作ることも構想中だ。展示だけではなく、実際に人々と鳩がともに時を過ごす場所にしたいのだという。
Musée Colombophile Crespin
60 rue de Lapugnoy 62157 Allouagne
www.constateur.com