東欧諸国のロマ人が、なかでも07年に欧州連合に加盟したルーマニアとブルガリアから堰(せき)を切ったように西側諸国に移住し、パリや地方都市郊外にも彼らのゲットーができはじめていた。バラックやキャンピングカーで暮らす彼らの生活を犯罪の巣とみなすサルコジ大統領は彼らを強権的に本国に退去させている。市民団体やEU議会、国連、バチカン他の批難にも耳を貸さずに。
1974年、世界ジプシー連盟が西洋諸国に散らばるジプシーの総称としてロマ人と定めた。西洋で暮らすロマ人は約1千万人。ルーマニア240万、ブルガリア80万、スペイン75万、ハンガリー70万、セルビア50万、仏40万(95%は仏国籍者)、ギリシア27万、イタリア12万…。
ロマ人の文化的源泉は9世紀の新ペルシア、言語的には印欧系の痕跡が認められるが、彼らの祖先は、中世時代にバルカンからイタリア,スペインへと移住していったといわれている。フランスでは、特に東欧諸国からのロマ人を「流浪の民Gens de voyage」、EU議会では「移動生活者」と呼んでいる。中世時代にはボヘミアンとも呼ばれ、19世紀ごろからジプシーTziganesという呼称が各国に定着した(英 Gypsies、スペインGitanos、独Zigeuner、伊Zingari)。オスマン帝国で1857年まで奴隷だった彼らはTsiganiとも呼ばれていた。
20世紀初頭、西洋諸国でジプシーに対する弾圧が強まり、フランスは1912年に12歳以上のジプシーの〈人体鑑識手帳〉を作成した。それは家族全員、後世まで引き継がれる「非人」証に等しい。1933年ドイツは各都市に彼らの収容所を開設、1936年からナチス親衛隊指導者ヒムラーは、ユダヤ人に対する以上に厳しく祖父母の1人がジプシーの血を引く者は犯罪予防のため隔離した。当時ドイツにいたジプシーの90%、他国から移送されたジプシーも入れると最低30万人がアウシュヴィッツで虐殺された。
フランスは1969年に人種差別的な〈人体鑑識手帳〉を廃止し、「住所不定者」、「移動生活者」と認められた者に「通行証」を発行した。が、彼らは一定地に定着していても、地方自治体・警察にとっては「流浪の民」でありつづける。
ロマ人が一番多いルーマニアで急速に西洋化・消費社会化が進むなかで彼らに対する人種・社会的差別は増すばかり。EU市民として彼らが少しでも人間らしく暮らせる地を求めて移住してくるのは当然だろう。追い出されてはまた移住してくるロマ人に対するサルコジ大統領の追い出し作戦について「第2次大戦(ユダヤ人迫害)は終ったと思っていた」と、ルクセンブルグ出身のルディング法務担当EU委員が発言(9/14)したためサルコジ大統領は「フランスの現政権をヴィシー政府にたとえるのか!」と激怒。この発言をめぐってバローゾEU委員長と27カ国首脳らの間で口論が蜂の巣を突ついたように爆発した。(君)
Carnet anthropométrique(人体鑑識手帳)。
Filhol/Hubert著 “Les Tsiganes en France, un sort à part”より。
Perrin社発行。