「私たち、とてもセンチメンタルなのよ」。「たくさんの文化的滋養を吸収しながら、感情を分かち合ってきたんだ」。出会いは1959年の高等師範学校時代、アルジェリア戦争の真っただ中。ジャン・ジュネの『黒んぼたち』のチケットを手に入れたジャン=ピエール(以下JP)さんがアンヌさんを誘ったことから、物語は始まる。クリスマスの直前12月19日。がり勉メガネのJPさんが、あまりに不器用な誘い方をしたせいか、アンヌさんは両親と招かれたと勘違い。その晩は、なんとなく気まずい思いをしながら、4人で出かけた。その日以来、毎年12月19日は、観劇の日と決め、今年は50回目を迎える。 翌年、そろって反人種差別団体MRAPに入った。「僕らの政治意識は、反植民地主義から出発したんだ」。当時、共産党メンバーとしても活動した。でも1974年の大統領選の時、左派に運はめぐってこないと確信。ソ連のアフガニスタン侵略を機に、脱会した。 70年代、二人の子供を養子縁組する。「当時、養子を迎えるのは難しかったけれど、今ほどではなかったわ」とアンヌさん。今は望まれない妊娠が減ったし、孤児が減ったことで、国内養子は減少した。一方2008年、フランスでは海外から養子縁組された子は3266人。「この場合、子供を根無し草にしてしまうのが、一番心配だわ」 「僕らが子供たちに対して一番気をつけたのは、他の子と同じように、両親から変わりない愛情を受けていると認識させること。同時に、養子だという事実を隠さないで自然に、振舞うことだった」とJPさん。毎年、誕生日のほかに、子供たちが二人の家にやってきた日も、記念日にしている。しかし、今では彼らも30歳を過ぎ、独立していった。 数年前、アンヌさんが大病を患ったとき、統計学者(JPさん)と数学者(アンヌさん)の仕事をそれぞれすっぱり辞めた。そして今では余暇の時間を趣味に注いでいる。昔はシネクラブを運営していたほど、筋金入りのシネフィルでもある二人。「『市民ケーン』が大傑作なのは百も承知だけど、100回見るなら、『偉大なるアンバーソン家の人々』を選ぶわ」(咲) これから相手に期待したいことは? 前回のバカンスは? 夢のバカンスは? 最近、二人で出かけた演劇は? カップルとしての満足度を5つ星でいうと? |
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