ミラは日本語が上手い、ような気がする。考えてみれば、なんてことはない。私がジルと別れたため、家では私しか話す相手がいなくて、常に日本語を使わざるを得ない状況なのだ。別居にも利点があったのだと、せいぜい自分を慰めてみる。とはいえ彼女の日本語に聞き耳を立てると、フランス語の影響が端々でうかがえるのは面白い。日本語の「ha」はフランス語の「ra」の発音になる。「ミラの自転車」は、「自転車のミラ」というように、前後がひっくり返る。また、「パパに会う」を「パパに見る」と言うなど、フランス語直訳の日本語も飛び出す。これは動詞「voir」に「見る・会う」の両方の意味があるので、フランス語感覚に引きずられてしまう結果だ。
とまあ奇妙な日本語も出るが、それはそれでご愛きょう。全体的にミラの日本語は私には誇らしい。しかし、だ。最近、日本語の歌が聞きたいというジルの両親の前で、ミラに一曲アカペラをお願いした時のこと。家ではいつもカラオケ大会になるのに、モジモジしてちっとも歌ってくれない。しまいには私もイラつく。「歌えないの?変だよ!」。責める私、悲しむミラ…。むむ、ちょっと待て。こんな私こそが「変」ではないか。わが子を水族館でボールを操るアシカのように扱っているのだから。外国語は曲芸ではない。バイリンガルキッズのパパ、ママよ。世にも醜い「子供の曲芸化」には、注意されたし。(瑞)