自称「政界のモーツァルト」、仏版ケネディことニコラ・サルコジ新大統領のエリゼ宮征服まで30年間の数奇な行路を追ってみよう。 ハンガリー人貴族、父パル・サルコジとユダヤ系の母アンドレがパリに移住後、1955年ニコラが誕生。5歳の時、広告業界で働くプレイボーイの父と母が離婚、息子3人と母との17区からヌイイへの生活が始まる。母はパリの法学部で学び弁護士となり、彼はアイスクリームや花売りのバイトで学費を稼ぎながら法学・政治学科を卒業。22歳でヌイイ市議会議員となり、父を憎むマザコン型のニコラは28歳まで母と暮らす。 1983年、ヌイイ市長の座獲得の電撃戦はあまりにも有名。ペレチ市長の急逝で待ってましたとばかり、彼を可愛がってくれた御大、コルシカ出のパスクワ元内相を押しのけ、28歳でヌイイ市長に。コルシカ女性と結婚。2002年まで同市のブルジョワ層、ラガルデールやブイーグ家、かの豪華船の持ち主、ボロレ氏など主にメディア界の仏財閥や、ジョニー・アリデー、ジャン・レノ他、芸能・スポーツ界の有名人と親交を密にしていく。 1986年、セシリアさん(現サルコジ夫人、スペイン人作曲家イサック・アルベニスの子孫)とテレビ司会者ジャック・マルタンの結婚式を執り行ったサルコジ市長は花嫁を見初め、1996年、二人とも子供二人連れで再婚し複合家庭を構成。サルコジ氏は私生活でもいったん欲したものは必ず射止める。 1976年以来、彼の政治的才覚に注目していたシラク前大統領は自分と似た彼を「息子」のように仕込む。が、「息子」は1995年大統領選で保守中道派対抗馬バラデュール候補側についてしまう。この「親殺し」の裏切り行為で彼は7年間シラク派に干される。その間、弁護士としてヌイイの金持ちの民事訴訟などの弁護にあたり、彼らに重宝がられる。 2002年大統領再選後、「息子」のブルータス的体質を警戒したシラク大統領は、世論の風当りが一番強い内務相の座を彼にあてがい、忠臣ドヴィルパン首相を押し出す。が、2004年、サルコジ氏は民衆運動連合UMPの総裁になり、同党を先の大統領選の総本山とし、シラク旧体制との「断絶」を宣言。当選後、新大統領は同党総裁役の受益者は自分だけで充分とし総裁のポストを廃止し書記長を設ける。 セシリア夫人はというと、北政所(息子ルイがいるが)のごとく招待客の人選まで厳しく指図するが、大統領のお飾り的ファーストレディにはなりたくないそう。もしかしたらサルコジ大統領のアキレス腱はセシリア夫人の感情生活にあるのかもしれない。(君) |
5月22日発行、パリマッチ誌の表紙。
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