Jacques Martin — 大衆に愛されていたテレビ界のヒーロー、死去。 N° 618 2007-10-01 長い間、多くのフランス人にとって日曜といえばジャック・マルタンだった。昼のニュースを挟んで11時から17時まで、テレビに “Dimanche Martin” という超ワイドショーがあったからだ。ワグラム大通りにあったアンピール劇場からの中継で、シャンソン、オペレッタ、クラシック、ダンス、ギャグ、クイズ…それらすべてを企画し、司会をし、自ら歌い、舞台狭しと動き回っていたのがジャック・マルタン。一番人気は子供たちにゲスト歌手の歌を一曲ずつ歌わせる『l’école des fans』。たどたどしい歌いぶりはもちろん、「お母さんとお父さんはどこに座っているの?」に始まってジャック・マルタンが巧みに聞き出す、嘘をつくことができない子供たちならではの話に、テレビの前の視聴者は爆笑! そのジャック・マルタンが9月14日、ビアリッツのホテルで亡くなった。74歳だった。 1933年、リヨンに生まれる。父を5歳の時になくし、中学校時代は寮に入れられる。「生まれ変わることができても、あの子供時代には戻りたくない!」。15歳の時にパリに出て、俳優を目指し、演劇、歌、ダンスを学ぶ。25歳からオペレッタなどに出演。いくつかのラジオ局で司会したり、ミュージカルを作曲・主演したりした後、1975年にテレビ界入り。TF 1で、今でも高視聴率を上げられそうな、傑作お笑い番組『Le petit Rapporteur』を誕生させる。1980年からはFrance 2で “Dimanche Martin”。最盛期には視聴者600万人に達しテレビ界のヒーローになったが、番組の内容が少しずつ時流からずれていき、視聴率は下降、1998年にFrance 2からお払い箱になる。その直後に脳溢血で倒れ、以降、長い闘病生活を続けていた。「テレビでの仕事は、一度離れると、誰も電話をかけてこなくなるものだ」とその孤独を語ることが多かったという。 大の子煩悩で、3回結婚し8人の子供がいる。二人目の妻、セシリア現大統領夫人との間にも二人の子供。(真) Share on : Recommandé:おすすめ記事 フランスにもいたオモシロ候補。 冬空や青い目玉で五七五! 「人間的な、あまりに人間的な」 ブリュッセルからシャンソンの新風が。 初の依頼人はドンキホーテ? 念願のウィンブルドンで優勝。