イタリアの左翼紙イル・マニフェストの特派員ジュリアーナ・スグレナさん(57)は、イラクで人質になっていたが、3月4日、解放されてバグダッド空港に向かっている途中で米軍によって銃撃され負傷。彼女をかばおうとしたカリパリ伊諜報員は死亡。 3月22日付けのリベラシオン紙にスグレナさんのインタビューが掲載された。「解放されてうれしいけれど幸せではない。あの銃撃とその悲劇的な結果、その後の論争(彼女自身は、米軍が故意に彼女を射撃したと述べている)などで、自分が人質であったことについてまだ冷静に考えられない」 1948年、イタリアのピエモンテ地方で生まれる。父親は共産党員でレジスタンス活動家だった。若い時から女性解放運動や平和運動に参加し、山国生まれならではの気骨を示す。40歳の時にイル・マニフェスト紙の記者になり、戦争に苦しむ市民たちの姿を伝えるために、アルジェリア、アフガニスタン、イラクで特派員として筆を振るう。 「人質中は、ネルソン・マンデラや90歳の父のことを考えていました。拉致者たちには、米軍の侵攻に反対の私を人質にするのは無意味だ、と言っていました」(真) |
|