イヨネスコの劇はよく「不条理劇」といわれる。「不条理」は、広辞苑によると「人生に意義を見出す望みがないことを言い、絶望的な状況、限界状況を指す」とある。イヨネスコにしても、同じカテゴリーにしばしば入れられるベケットにしても、確かに「絶望的な」状況を描くことが多いけれど、その絶望や切羽詰った限界を諧謔(かいぎゃく)的にそして自虐的に描きながら、客観的な視点も忘れない。それは自分の不幸を他人事のように語ることで自己を客観視し、自分が抱える苦しみを軽減しようとするのと似ているかもしれない。 この『Le Roi se meurt』では、死を迎えようとする王が描かれる。民からも近臣からも見捨てられた王は孤独だ。主治医も第一夫人も王を見放し、その死を秒読みで待っている。他人の解釈はもとより、一番重要なのは王自身が近づく「死」とどう対面するかだ。自分は不死身で、自分の権力は永遠だと信じていた王には「死」という言葉は存在しないに等しい。それでも口や態度に出さなくても、死への恐怖は影のように王につきまとう。誰もが感じたことのある死への不安。皆から受ける死の宣告には耳を貸さず、自己の瞑想と夢の世界に逃げ込む(ふりをする)王の姿は滑稽に映るけれど、同時に私自身も「死」というものについて考えさせられる。「よい最期」とは何? 悔いのない人生を過ごすってどういうこと? 王役を演じるミシェル・ブーケの姿が、先日この世を去ったアラファト議長の姿と重なった。とはいっても、皆から見捨てられた王と、惜しまれながら逝った議長の間には格差がある。いずれにしても死んだら皆同じ、人生を謳歌し悔いのないように生きたいなあ、と思う。演出はジョルジュ・ヴェルレール。(海) |
火-土21h、日16h。15~40€。
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Dance | |
●Pierre DROULERS “INOUI” ポーランドの前衛演劇のグロトフスキのもとで修行、その後当時のフランスのダンスシーンや、ベルギーの一連の流れにも属さない独自の視点を貫いて、20年以上ブリュッセルを拠点に活動している振付家。今回は二人の美術家とのコラボレーション。その一人、ミシェル・フランソワは、以前にも気体のインスタレーションなどユニークな空間を創っている。舞台ではダンサーたちがパネルを自由自在にあやつり、そこにさまざまに介入する光の中で変容していく風景の中に、それぞれの身体の触れあうかすかな気配、息遣いまでも感じさせる、視覚、聴覚、触覚をもつ空間が創られていく。(珠) |
2日~14日/20h30 |
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