第一回投票で極右ルペンがジョスパン首相を追いこすというショックにいたたまれず、5月1日、私もレピュブリック広場に足を向け、50万人の群衆(大半が革新系市民)とルペン阻止のデモに加わった。「ぼくらはみな移民の子!」と叫びながら。
全国で一五○万人が街に出て、足もとにまで忍びよっていたウサギの衣を着たオオカミ(外国人排斥主義者)に向かって初めて大声をあげて追い払おうと、立ちあがったのだ。
固着化した左右交代制の仏政治体制の欠陥が化膿し、いつの間にかウミがたまりそれが流れだし、ルペン支持票となって結晶したのだろう。
このような情況に至ったのは、第一回投票を棄権した怠惰な親たちのせいと、若者たちがデモの先頭に立ったということも彼らの意義申し立てだろう。それは、68年革命にも匹敵するのでは。
決選で心ならずもシラクに投票した有権者、そして三色旗を先頭に行進した若者たちに戦後初めて、共和政の原点に舵を引きもどす底力を見た思いだ。(ハナ)