「私は、おそらく、みんなが考えているよりずっと野心家だ」と語るドラノエさんだが、政治家としては目立たない存在だった。社会党のストロスカーン元蔵相がパリ市長候補を断念したために、ピンチヒッターとして檜舞台に。最近の世論調査ではドラノエ支持が過半数を超え、パリ市長就任の可能性が高まってきた。 1950年チュニジアで生まれる。14歳の時にフランスへ。20代初めから社会党員として政治活動に没頭。31歳の若さでパリ18区から出馬し国民議会議員当選。社会党スポークスマンという要職について、ジョスパン首相やヴァイヤン内相と親交を深める。ところが86年の国民議会選挙では落選し、新しい可能性を求めて政界を一時離れる。「自由な人間になれるようにリオネル(ジョスパン)が助けてくれた」 2年半ほど前、”自由人” ドラノエさんは、テレビで自分がゲイであることをカミングアウト。周囲はその政治的影響を懸念したが、翌日真っ先に電話でその勇気を称えてくれたのは、やっぱり友人のリオネルだった。 (真) |
“Je suis sans doute beaucoup plus ambitieux qu’on ne le pense.(…) Lionel m’a aidé à être un homme libre” |