RPRの設立者、シラク大統領が”家長”だとすれば、6月13日の欧州議会選挙で保守3党連合(RPR-DL-UDF*)を率いるはずだったセガンRPR(前)総裁は、家長と相性の悪い”養子”に喩えられる。また、家長が最優秀児と褒めるジュペ前首相や兄貴面したドブレ国民議会RPR議員代表・前内務大臣、「シラク大統領友の会」のポンス会長らは”実子”に当たる。家の看板を任された養子への嫉み、家長の寵愛争奪戦、出世欲、足の引っ張り合いが、じつは95年シラク大統領就任以来、家長の手に負えない御家騒動に発展。 4月15日レユニオン島から戻ったセガン氏の目に止まったのはポンス氏のインタビュー発言。「欧州議会選の後は、バイルー(UDF)とパスクワ(RPF)を加えれば大統領多数派ができる」と、ドゴール派も中道派も超保守派も一緒くたにしたこの足し算にセガン氏の怒り心頭に。それだけではない、数カ月前から大統領がバイルー氏とエリゼ宮で密会していたことを知ったセガン氏は4月16日、憤激のあまりRPR総裁を辞任、欧州議会選保守連合を率いることも降りると宣言。自分が最後のドゴール主義者として闘っているのに、大統領再選しか頭にないシラク大統領がジョスパン左翼連合内閣をまねて”保守連合”をつくるため、”隣の息子”にも触手を伸ばしたことに耐えられなかったよう。それにコソボ紛争勃発以来、人気絶頂のシラク大統領とジョスパン首相が意気投合、幸せな保革共存生活を満喫中とあっては、セガン氏も”To be or not to be”と苦しむはず。 RPR家の息子たちはセガン氏の辞任を待ってましたとばかり緊急家族会議をし、サルコジRPR書記長を総裁代理かつ欧州議会選リーダーに選出。山の手、ヌイイの市長サルコジ氏は、95年の大統領選では元首相バラデュール候補の部下だったわけで、今度はかつての敵対者に担ぎ上げられ嬉々としてRPR総裁代理にのし上がる日和見主義的な面がなくもない。 セガン氏の辞任”爆弾”の余波はUDFにもおよんだ。中道派バイルーUDF総裁はこの際、RPRの傘下から離れて欧州議会選に独自の候補リストを掲げると宣言。78年ジスカール・デスタン元大統領が設立したUDFには、中間政党として保守派の補充政党として扱われてきたことへの不満が蓄積していた。そして、RPRにはセガン氏のような反マーストリヒト派、国家主権擁護派がかなりおり、UDFの掲げる”欧州連合の連邦化”は白眼視されてきた。UDFとしてはいまこそ、長年の目標を声を大にして表明したいところ。 UDFがライバルとなった今、RPRのサルコジ総裁代理は、自由経済主義者マドランDL総裁と手を組んでRPRのシンボル、ロレーヌ・クロスを担いで、欧州議会選への茨の道を歩んで行く覚悟。道中、バイルー組(UDF)とパスクワ – ヴィリエ組 (RPF)がはだかり、3党相撃ちの容赦ない戦いが繰り広げられそう。乞うご期待 ! (君)
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