サンドは、芸術仲間たちを生まれ故郷であるノアンに招き、手厚くもてなした。そこで供されるのは、新鮮な果物やチーズ、おなかがいっぱいになるジャガイモや米の料理、ジビエ、そして、イギリスやイタリア、スペイン、ロシア料理など、旅からヒントを得た外国料理。パリ左岸のレストラン〈Magny(マニー)〉のオーナーから教わった、バターたっぷりのオランダ風ソース、そしてやっぱりバターをふんだんに使った鶏肉のファルシ、刻んだトリュフや鶏のトサカがはいったパイなども登場した。ノアンの食卓は、19世紀フランスのブルジョワの食が並ぶ祭典のようだ。
〈Magny〉では、サント=ブーヴが月に一度ソワレを主催し、ゴンクール兄弟、アルフォンス・ドーデ、エミール・ゾラ、イワン・ツルゲーネフ、ギュスターヴ・フロベールなどの芸術家が集い、文学、宗教、政治について、恋愛や性的経験について語りあったという。1866年以降、サンドは唯一の女性としてこのソワレに参加することになる。
サンドが「Magny」に出入りするようになる30年ほど前のこと。バルザックは、愛するハンスカ夫人へ宛てた手紙の中でこんなことを書いている。「彼女(サンド)は男性です、彼女は芸術家です、彼女は偉大で、心が広く、誠実で、控えめです、彼女は男性の大きな特性を持っています、したがって、彼女は女性ではないのですよ」(持田明子訳)。
バルザックとしては、ハンスカ夫人が嫉妬しないようにこんなことを書いたのかもしれない。しかし、それを差し引いても、時代を代表する偉大な芸術家にして女性蔑視のこの発言である。こんな時代に、性差別をものともせずに多方面で活躍し、今もその作品を通して世の男性、女性を励まし続けるサンドに、改めて敬意を表したい。(さ)