ラシダ・ダチといえば、マグレブ系元移民の二世、前サルコジ大統領自慢の元法務大臣で現在欧州議会議員兼パリ7区区長。
女児出産3日後、2009年の年始閣僚会議にピンヒール姿でエリゼ宮に向かい世間をアッといわせた。「誰の子を出産?」と極秘にうわさが輪をかけて「TV司会者? 元閣僚の一人? 大実業家? スペイン前首相 ? サルコジ兄弟の一人 ? カタールの検事長 ? ブランド株主の御曹司 ?…」と政財界で「Dame 夫人」と呼ばれるダチ氏の連綿たる交際関係の謎解きが大衆誌を賑わす。
ダチ氏が、リュシアン・バリエール・グループのドミニク・ドゥセーニュ社長を相手取り、3歳半のゾラちゃんの父親としての認知と養育費を要求しヴェルサイユ地方裁に提訴したことを、ル・ポワン誌が「センセーショナル」な書き方で報道したものだから、10月15日、ダチ氏は「のぞき見趣味同然のうわさをネタにした中傷」として同誌ジスベール編集長と5人のジャーナリストを「私生活の侵害」として訴えた。この話題はダチ氏が公的人物であるだけにエル誌(11/9)からルモンド週刊マガジン(11/3)、女性誌Voici、フィガロ紙のサイト版までが取り上げている。
1997年以来ドゥセーニュ氏が社長を務めるリュシアン・バリエール・グループはホテル・フーケッツをはじめカンヌ、ビアリッツ、ドーヴィル…と16の最高級ホテルとレストラン90軒、カジノ39を所有。創立者リュシアン・バリエールの一人娘ディアンヌさんはドゥセーニュ氏と結婚し、1995年サントロペ ・ラボール間ビーチクラフトの墜落で重傷を負い四肢麻痺状態に。6年の闘病後、44歳で死去。ディアンヌさんはサルコジ前大統領セシリア前夫人と幼友だちだった。
金髪のスポーツマン、永遠のプレイボーイとして知られるドゥセーニュ氏(68)は2007年に共通の友人を介してダチ氏と知り合い、二人で年末のバカンスをモーリシャス島で過ごす。彼は「子どもはもたない」と告げ、 翌年2月に別れたがまた会いはじめ、その数週間後にダチ氏が妊娠したことを知らされた。ルモンド週刊マガジンによると、出産1 カ月後、彼女は共通の友人宅でゾラちゃんをドゥセーニュ氏と彼の二人の息子(26歳と22歳)にも会わせたという。彼の友人らが語るには、ダチ氏は数回にわたりドゥセーニュ氏に養育費を請求する手紙を送っており、最近は話し合いによる提訴取消しについても交渉していたという。
ドゥセーニュ氏は、ゾラちゃんのパパであるかどうかを調べるDNA鑑定を今のところ拒否している。例えば、1970年代にイヴ・モンタンと脇役女優との間に生まれたという女性が、1997年12月にモンタンに対し認知を要求し提訴した。モンタンがDNA鑑定を生前中に拒否したため彼の亡骸が発掘され、DNA鑑定がされたが99.99%ネガティブだった。男性には父子関係問題で、死後もDNA鑑定がついて回りそう。
ダチ氏のドゥセーニュ氏民事訴訟には、2014年市議会選挙への資金準備を計算に入れているのでは、とコラム記者たちは口さがない。ドゥセーニュ氏の友人らは「ダチのわなにかかったのさ」と同情顔。司法関係では四十八手を駆使する元法務相ダチ氏対億万長者の闘いはつづく。(君)