この10月、リール市のカールトンホテルのアンリオン社長やコイフェール広報部長、ベルギーの売春斡旋業者、愛称「ドド・ラ・ソミュール」、健康器具業者パズコウスキと秘書、レストラン女性店主デュフール、ノール県治安課ラガルド警視、ムノー公安部長ら8人が「重大な売春斡旋集団・詐欺罪」容疑でイモづる式に検挙された。
カールトンホテルのスキャンダルでわかったのは、数年前から人気絶頂にあり、将来大統領になる可能性のあったドミニク・ストロス=カーンIMF前専務理事におもねる影の支持者ら(ムノー公安部長などはDSKの大統領当選後の内務相の座を夢見る)は、コイフェール広報部長や「ドド」を介し、カールトン他、パリのプライベートバーでも乱交パーティを企画しDSKも参加していたよう。さらにDSKのN.Y.性暴力事件の1年前から数回、その前日(!)も「研修旅行」と称し秘書として娼婦2人を連れて、ワシントンのホテルでDSKを交えて放とうの夕べを送ったことなどが明るみに。DSKには二重底の人脈があったことと、抑制できない性欲というか、政治家としての命を縮めた性的依存症が再び話題にのぼる。
DSKは10月初めにアンヌ・サンクレール夫人に付き添われ、パリはマレ地区のヴォージュ広場に面する豪勢なアパルトマンに戻ってきているが、旧知の友人も社会党元協力者もカールトンホテルのスキャンダルを知っては、腐敗しきった「カサノバ」には近寄らず、ぱったり連絡をたっている。党員らは、N.Y.事件との時間の差で、もしDSKが大統領選候補になっていたら…と奇跡的にそれを回避できたことに胸をなでおろす。
カールトンホテル疑惑発覚前に、N.Y.の刑事裁判は訴追取り下げとなったが、提訴者ディアロさんは民事訴訟を準備中。そしてパリでは作家トリスターヌ・バノンさんへの性的暴行容疑が控えていた。03年、DSK取材中に性暴力を受けたとし、司法警察に届け出たが時効3年*を過ぎているために無効となった。DSKのサルセル市長時代(1995-97)のセクハラ被害者も同市の役人からけん制のプレッシャーを受け沈黙のカラにこもる。
N.Y.での醜聞の渦中にあっても夫を支えてきたアンヌ・サンクレール夫人も疲労困憊し、現在マラケシュの別荘に逃避。彼女に同情する友人たちは彼との離婚をすすめており、夫人は、性的暴行被害者ディアロさんが民事裁判で要求するだろう数百万ドルにのぼる損害賠償金は払う気はないともらしているそう。ついに理解ある妻にも見放される運命に? DSKの米国弁護団は、N.Y.ソフィテル事件に対し、当時のIMF専務理事としての国際官僚免責特権を振りかざし、民事訴訟を却下させる作戦を準備中で、まだ展開の余地あり。
1960年2月29日、モロッコのアガディール滞在中に起きた大地震により家族のほとんどを失ったドミニク少年が、50年後に国際社会の頂点、IMF専務理事の座にまでつき、大統領選候補になれるところだったのが「性暴力常習犯」というレッテルをはられ、男として政治家として失格。彼の立身出世から終えんまで、DSKをめぐる長編映画が製作されるのでは。(君)
*性犯罪の時効年数:性暴力は3年、強姦は10年。