『 JODOROWSKY’S DUNE/ホドロフスキーのDUNE 』が圧倒的に面白い!
『 エル・トポ 』(69)『ホリー・マウンテン』(73)といったスピリチュアル・スプラッター・シュール映画で世間をあっと言わせたカルト・ムーヴィーの権化、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の未完の超大作映画の製作過程を振り返るドキュメンタリー(フランク・パヴィッチ監督)なのであるが、その壮大な構想、ホドロフスキーの類い希なエネルギーとキャラクターに感嘆、敬服、微笑、爆笑しながら映画創作の醍醐味を堪能できる一篇だ。
時は1974年、SF小説のベストセラー、フランク・ハーバート著『デューン』の映画化をフランスのプロデューサー、ミシェル・セドゥーがホドロフスキー(愛称ホド)に持ちかけたのが発端。ホドは「これこそ新しい神の降誕だ。この映画によって精神を解放させるのだ。本作のためなら自分の全てを捧げる」と直ぐさま行動を開始する。先ずはクリエート・スタッフを人選し、本作の構想を具体化してゆく。ホドの下に結集したのは、ジャン・ジロー/メビウス(構成・イラスト)、ダン・オバノン(脚本)、H・R・ギガ-(美術コンセプト)、クリス・フォス(デザイン)。次はキャスティングだ。デヴィッド・キャラダイン、オーソン・ウェルズ、サルヴァドール・ダリ、ミック・ジャガーといった錚々(そうそう)たる面々をホドが如何に口説き落としたかというエピソードがまた傑作である。音楽はピンク・フロイドとマグマが担当することになる。
しかし、このプロジェクトの実現には莫大な製作費が必要だった。フランスのプロデューサーはハリウッドの扉を叩く。メビウスの描いた3千枚に及ぶ絵コンテはハリウッド中のスタジオで回覧されたが、答えはノー。この企画はハリウッドの製作システムの帯には合わなかったのである。
実現不可能なプロジェクトは解散せざるを得なかった。結局、『デューン』は84年にデヴィッド・リンチ監督『砂の惑星』となったた。まあD・リンチが監督なら許せるかと映画を観たホドが「失敗作だった」と語る時の嬉しそうな(!?)表情が忘れられない。
この歴史的な未完プロジェクトは、実はその後のハリウッドのSF映画に多大な影響を与えた。ホドが集めた上記のスタッフは『スター・ウォーズ』(77)、 『エイリアン』(79)などで大活躍することになる。「失敗を知り人生に勝つ」とはホドの父が遺した言葉だ。(吉)