S子さん(72歳)は、学生時代に東京、パリ、スイスの大学で仏文学を学んだ。1966年、 東京湾晴海に寄港したジャンヌ・ダルク号に乗っていた仏士官らを招いた仏大使館のパーティで、後に夫となるC氏と出会う。
C氏との出会いから結婚までのいきさつは?
スイスに留学中、学友らと車で旅したのですが南仏で車が故障し、Cに連絡してみたらトゥーロン勤務だった彼が来てくれました。以後、彼からラブレターが何通も来たのに母が隠してしまったのです。父は軍人なら真面目な人だろうと結婚を認めてくれました。彼がタヒチへの2年間の派遣から戻った時、私たちは南仏で結婚し、東京でも神式で式を挙げました。
彼は原子力潜水艦でも働いたのですよね。
2カ月間彼がどこにいるのか知らされず、20語以内の電報を国防省が検閲後送ってくれました。
彼が定年後はどんな仕事に就かれました?
軍人は平均43歳で定年になるので、彼はその後民間企業で働きました。私は娘2人を育てながら日本語の教師をしました。主人は10年前に亡くなり、私は南仏で暮らしています。米、英国にいる娘たちの子供5人を夏のバカンスに預かりますが最近は疲れます。孫は英仏バイリンガルですが私はフランス語で話します。日本の姉は91歳なので、年に一度は帰国しています。
余暇をどんな活動に当てていますか?
コーラスのクラブに参加しているのでけっこう忙しいです。隣人と山登りもします。昔から弾いているピアノのレッスンも受け続けています。それと衛星テレビで日本のテレビ番組を毎日見ているので寂しくありません。
中高年男性から誘われませんか?
ありました。食事やコンサートにご一緒するというような。その男性は70近かったのですが「何に興味ありますか?」と聞かれたので「セックスです」と答えたら、シッポを巻いて逃げて行きました(笑)。定年後の孤独な男性にはこの答えが一番効果的です(笑)。
ご主人のお墓参りなどはしますか?
墓はありませんので、彼が生前望んでいたように、家族がよく行く浜辺が見渡せる海の波間に遺灰をまきました。毎年、彼の命日に海に向かって献花します。私の遺灰もその近くに遺族にまいてもらうつもりです。